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300 観音崎=呉市阿賀南九丁目(広島県)多い岬名では第3位だが「冠崎」という別名も? [岬めぐり]

 現在の呉市は、西は天応から東は安浦まで、50キロに及ぶ海岸線をもち、そのうえ島まである。なかで、呉市と広を隔てるようにしてある山塊が飛び出しているのが目立つ。最高峰が休山の500メートル足らず、以下だんだんと高度を落としながらいくつかの頂きをつくりつつ、南の瀬戸へ呑み込まれていく。半島ともなんとも名前はついていないが、これ自体がひとつの大きな岬のようである。この山塊は結構急峻な斜面で海から屹立しているので、西海岸の一部を除けば平地はなく、その周辺を細いバス道路がやっとこさぐるりと一周している。
 広から黒瀬川を越えると阿賀で、そこから集落をつなぎながら周回して呉へ行くバスに乗る。つまり、えらい大回りになるのだが、こちらは、それが目的なのだ。というのも、この東海岸にそこだけぴょこんと出っ張りがあり、それが観音崎という岬だから…。
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 この休山を含む山の中は人家も稀だと思われるが、その一帯は宮原村という。つまり、市の中に村があり、その村は海岸まで降りてくる。そのため阿賀はいったんこの村で区切られてしまい、阿賀南の8丁目と9丁目は飛び地のようになっているのだ。
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 でました観音崎。「でんでんむしの岬・崎・鼻データベース」では、名前の多い順では第3位、その数35で銅メダルなのである。この瀬戸内の安芸路の海岸だけでも、これで3つ目となる。「観音崎」という場合でも、実際に観音様とか観音堂が鎮座しているという場合もあれば、岩や岬の形が観音様のように見えるというのでついただけというのもあるが、いずれにしても素朴な観音信仰から生まれた命名であることには間違いない。
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 ただ、ここの場合はよくわからない。どうやら地元では「観音崎」という呼び名は、あまり使われていなかったようなのだ。というのも、港のそばのバス停が「冠崎」で、そこからもう少し山へ登ったところが「冠崎西」というのである。字名でもない冠崎という地名が、今もわざわざ使われている。地図では明らかに岬の名は「観音崎」となっている。こういう場合、よく「転じて」という強引な手法で解決を試みることがある。「かんむりざき→かんのんざき」というのか、あるいはその逆なのか。もっとも、地名が二つ呼び方があるということもあるから…。 写真は、全部バスを降りないで、車窓からのメモ写真なので、窓のコーティングかなにかのため、全体に青みがかって見えるが、海と陸とがお互い妥協せずにその領域を争ったように、岬の先端でも急な崖がほぼ垂直に落ちている。
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 海岸沿いに長く伸びてきた阿賀もここが九丁目でおしまい。集落は小さな谷に沿って山の間に入っていくのみ。トンネルではなく、道がよっこいしょと岬を越えて降りると、今度は岬の南側が見える。
 同じ席からの窓越し写真なのに、さほど青みがかっていないのもある。光線の加減とかなのであろうか。
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 でんでんむしの祖父は、まだ小さい頃に父母に連れられて広島へ出て行った。そのとき、妹は嫁入りさせるために広に残してきた。その妹という人がたまに祖父を尋ねてきては一晩泊まってなにやかやと話し込んでいくことがあった。そういうとき、聞くともなく聞いていると、しきりに出てくる名のひとつは「阿賀」であった。
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 その阿賀には、今回初めてやってきて通り抜けた。昔は、バスはなくとも、小舟で行き来することもあったのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度11分54.13秒 132度34分4.21秒
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dendenmushi.gif中国地方(2008/07/15 訪問)

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タグ:広島県
きた!みた!印(7)  コメント(18)  トラックバック(2) 
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きた!みた!印 7

コメント 18

昔の話

阿賀南9丁目(別名:かぶらざき)ここの岬は格好の釣り場(大物は連れないけど)と遊び場でした。小学生の頃は干潮時漁港から岬下を歩いて長郷浜まで散歩したりしてました。あとこの岬のガケ登った事
あります。岬上部はもと砲台跡で火ノ山荘という宿泊施設もありましたね。ここも昔の戦争の名残もある場所で戦争遺物がみつかりましたよ。もう30年以上前の話ですがこの岬を知り尽くしてました。
by 昔の話 (2010-06-18 09:25) 

dendenmushi

@「昔の話」さん、地元情報ありがとうございました。でんでんむしも、この項目の周辺で書いているように、広島の呉・広・阿賀の辺りは、わがルーツに関わりのある土地なのです。
 昔の話を、もっともっと聞きたい知りたいところです。
 「かぶらざき」という別名があることも、新情報です。これは「冠崎」が転じたものでしょうかね。
 この岬を知り尽くしていた、その崖を登ったという人から、コメントがいただけるとは…。これもすごいことですね。
by dendenmushi (2010-06-19 06:18) 

昔の話

再度立ち寄りました。追記させて頂きますね。小生も住んでいたのは数年程度で昔昔のことですが本当この岬周辺はよく探検しまし遊びました。(この頃好奇心旺盛で遊びたい盛りでしたので)景色も良いし誰もいないし。でもでんでんむしさんの画像ではそう大きく変わらず田舎なんですね。この観音崎(確かに地元では火ノ山岬と呼んだ方が伝わり易かったかも)から長郷浜(昔は鉄筋建の海水浴施設もありましたが取り壊され、その向いの小学校も廃校となったと聞いてます)間には中腹にポッカリと防空壕が口あけているんですよ。内部は数メートル入ったところで封鎖されていたと思います。この岬も呉地区という事で防空壕だらけでした。それと機関銃の弾とか崖に刺さってたりしてたのを見つけた事もありました。あと漁港側から岬に崖に添って歩くと波で洗われて出来た大きな空洞とかもあったのを覚えてます。上部は松の木が本当生い茂っていた崖でしたね。あと冠崎=がぶらざき(orかぶらさき)は地元読みですね。初めてこの字見る方はそう読めないですよね。。。この魚港も防波堤が延長されて景観が少し変化してますね。写真関係ないですが、この岬向いの情島(なさけじま)も今となっては住民はどれぐらいになったのでしょうかね。。。でんでんむしさんもチャンスがあれば干潮時に回ってみてください。(今はどうなっているかは・・・?)
by 昔の話 (2010-06-22 19:28) 

dendenmushi

@再度ありがとうございます。昔の話はおおいにするべし、聞くべし、というのはでんでんむしの信条なのであります。
防空壕。ありましたねえ、あちこちに。呉はなにしろ戦艦大和をつくった軍港ですから、冠崎も対空砲火陣地も、当然ですしね。
音戸の瀬戸の、清盛塚もなつかしいです。

by dendenmushi (2010-06-24 19:47) 

Husigidou

でんでんむしさん、はじめまして。
生まれ故郷の事を少し調べていたら、ここに辿り着きました。
50年前の子供が知っていた事を少し書いておきます。

私は阿賀町冠崎の生まれです。冠崎は、かぶらざき、かぶらさき、かんむりさきとも読みました。そして海に突き出た岬は、その山体をまるごと火山、ひやまと呼んでいました。その山頂には、新しく「火の山荘」ができました。これができる前は、凧揚げの絶好の場所でした。少々風が強すぎましたが。

観音山、かんのんやまは、少し引っ込んだところにある小さな山だったように思います。観音堂があったかな。このあたりは自信がありません。

火山は中世の瀬戸内海賊時代、狼煙を上げた土地、と聞きました。
火山の冠崎側の崖下には、鉄の扉で閉じられた防空壕がありました。その付近には、海に向かって突き出した鉄骨構造があり、昔の水雷試験場と聞いていました。更にその付近には工場跡地のようなコンクリート土台が広がり、四方に走る水路にはメダカが沢山いました。この跡地は後に、ダイモ工芸の工場になったと思います。

長郷の浜は海水浴施設として、コンクリートの建物が建設されました。長郷小学校の生徒は夏の始めになると、浜を掃除しました。小学校の校舎は木造で、暖房は大きな正方形の火鉢でした。

火山から冠崎の家並みを超えて北東側の斜面は、段々畑が山の上まで続いていました。能登の千枚田をもっと急にしたような景色でした。桶をかついて肥料や水を運ばなければならない作業は廃れたようで、今の航空写真を見ると、草木で覆われています。

長郷小学校が廃校になったと聞いて、残念に思いながら思い出した事でした。
by Husigidou (2010-08-16 09:51) 

dendenmushi

@Husigidouさん、名前がいいですねえ。わたしも、この歳になってもまだ、こども時代と同じように、「なんでかのう? ふしぎじゃのう」と、思い続けております。

50年前の阿賀南の観音崎周辺の様子が、想像できます。前のコメントをくださった「昔の話」さんと同郷ですね。時代は、ちょっとずれそうですが。

これがまたふしぎなことに、昔の記憶って忘れていることも多いけど、案外鮮明なこともたくさんあるものですよね。

8月は、テレビも自然、昔の話や記憶を辿るような番組を多く流すようになりますが、いつも一過性ですから…。

生まれ故郷のことを調べていたら、でんでんむしの岬めぐりにたどりついた、というのは、とてもうれしいですね。

そういう見られ方も多いんじゃなかろうかと、想定はしていましたが、こうして実際にコメントがあると、やっぱりうれしい。

有名でもない、観光地でもない地方の岬のことなど、だれも関心を持たないだろうと、思われますけど、数は少なくとも、必ずそこに思い入れのある人も、あるはずですから…ね。

by dendenmushi (2010-08-17 06:17) 

Husigidou

でんでんむしさん、こんにちは。
こんな、紀行文と呼んで良いのでしょうか。事実の記録が多いページは、どんな興味からでも読めますから、色々な方が読んでおられるのでしょう。私もたまたまたどり着いて、こんな事を書く機会をいただいてありがたく思っています。

古い儚い記憶ですが、こんな事を書く機会はあまりありません。私は初めて書きました。このブログがなければ書く機会があったかどうか。なければ記憶は更に遠くなるでしょう。冠崎に長く住んでおられる方がより詳しく、正確に書いていただけると良いなと思っています。

先に書きませんでしたが、私には阿賀南、あるいは○丁目という表現はピンときません。当時は阿賀町○○○○番地、あるいは阿賀町大字冠崎○○番戸、でした。(字、だったかな)
書いてしまってから、更に色々な記憶が出てきましたが、怪しいものも多いようです。ボンネットバスが前ペッタンコバスに代わった頃、岬を周る道路が舗装された頃、音戸大橋ができた時代でした。給食のミルクは脱脂粉乳、川崎市に引っ越したとたんに牛乳になりました。地方と都会の落差が大きかった時代でした。

岬めぐりが末永く続く事をお祈りします。
今は海が無い、群馬県からです。
by Husigidou (2010-08-17 10:22) 

dendenmushi

@名倉不思議堂のページと、関連ページをちょこっとだけですが拝見しました。いやー、おもしろそうなお仕事なんですねえ。八木アンテナは懐かしい(と言うのは変か)、人材募集とか、文章の書き方もおもしろかった…。

そうですよ。昔の記憶は、是非書き留めておかれることをお勧めします。冠崎も小学校時代までとなると、そこはご両親に縁のある土地だったわけで、そっちのほうルーツも調べてみないと…。
でんでんむしは、別ブログ(現在は、「岬めぐりの全項目一覧▲Link List」になっているところ)で、そのことについても書いています。

群馬県、岬ないですねえ。このさい八ッ場ダムでもどこでももういちど探し直しましょうか。なければつくりましょうか、むりやり…。そして、それを口実に行こうかな、群馬県。

でんでんむしの岬めぐりは、「紀行文」というほどのモンじゃないです。それはむしろ意識して違うものにしようとしているくらいで、そのため他人の目から見れば、正体不明の文章になっていると思います。
新しいなにかに呻吟しているといってもいいのですが、それほど深く考えたり悩んだりしているわけでもないし…。

ま、これからも気が向いたら寄ってやってください。
by dendenmushi (2010-08-19 06:36) 

阿賀もの

こんばんは。
阿賀もの(者)です。
私は小学6年の途中まで冠崎に住んで,以後数年間大入に住んでいました。
仕事がらみで阿賀のことがどのようにインターネットに載っているかと見ていたらここにたどり着きました。
地名のことが出ていましたので,地元の言い伝えを真偽不詳のまま書かせていただきます。
その昔,大臣様が乗った船が冠崎・大入の沖合で難破し,地域の人が総出で救助活動をしたそうです。
火を燃やして,陸地であること(陸地の方向?)を船に知らせた所が「火山」,観音像が流れ着いた岬を観音崎,冠が流れ着いた場所を冠崎と言うようになったということです。
一方,(救助された?)大臣様がお入りになった所を大入(だいにゅう)と言い(現阿賀南8丁目),将棋盤が流れ着いたことから「将棋盤」という地名が付いている場所もあります。
昔は冠崎を「かんむりさき」と発音していたかどうかは分かりません。
どう訛って「かぶらざき」になったのか分かりませんが,地元では「かぶさき」,さらに略して「かぶ」で会話が通じているようです。(年配者の会話かもしれませんが・・・)
ここからは私の想像です。
厳島神社参りのために,平清盛が1日で音戸ノ瀬戸を切り開いた伝説は有名ですが,権勢を誇る清盛に媚びを売るため,当時の貴族たちが競って音戸ノ瀬戸を通って厳島神社詣でをしていたことでしょう。
そして,天候不順を押して航海していて冠崎・大入の沖合で遭難したというように結びつけて考えるのは突飛でしょうか。
それにしても,「阿賀南8丁目・9丁目」に違和感を抱き続けているのは私だけではないと思います。


by 阿賀もの (2011-06-14 00:46) 

dendenmushi

@阿賀もの(者)さん、コメントありがとうございます。広島県阿賀の観音崎(冠崎)について、なんと「昔の話」さん、「Husigidou」さんに続いて三人目のコメントいただきました。

 お三方とも、So-net会員ではないのにもかかわらず、つけにくいコメントつけていただき、うれしいです。

 おもしろいですねえ。この岬についてだけ、こんなに反響があるのは…。かくべつどうということはない場所で、有名でも何でもないのに、ここに暮していた思い出をもつ方が、それぞれ書いてくださる…。

 「大入」ってどこだっけと、改めて地図を探してみました。確かに、バスに乗っていてそういう名の停留所があったと、記憶していたのです。

 「Husigidou」さんも同じように書いておられましたが、「阿賀南8丁目・9丁目」に違和感があるのは、住居表示の横暴で、大入などの地名表示が消えてしまったからですね。

 この辺りの海はいつもは静かですが、やはり台風などのときは荒れるでしょうからね。清盛塚は、双見ノ鼻の項でも書いていますが、うちのご先祖さんも関係してたみたいです。

by dendenmushi (2011-06-14 12:25) 

阿賀もの

阿賀ものです。
また来ちゃいました。
というのは,先日は「阿賀」をキーワードにヤフッていて,いきなり冠崎の観音崎に入ってしまい,私の地元のことを書いてくださっているのが嬉しくて,でんでんむしさんの岬めぐりとの認識もなく飛び込んでいきなりカキコした次第です。
よく職場で言われます。「ワシもオッチョコチョイじゃが,お前はほんまにオッチョコチョイじゃのう」
でんでんむしさんの岬めぐりってすごいですね。いや,でんでんむしさんがすごいからこうなったんでしょうか。
まだいくらも拝読できていませんが,日本全国の岬めぐり665回+多数の番外編とコマメに公共交通機関で訪れてキチンとUPしておられることは,私にはとても真似のできることではありません。
でんでんむしさんて,一体何者なんでしょう。こんな人がいるなんて・・・
と,書いているうちにますます興奮している私ですが,この火山界隈に関して子供時代に9死に1生を得た(?)経験があるのでご披露したいと思います。
「昔の話」さん,Husigidouさんも書いておられますが,火ノ山荘ができる前は,この岬上部の一帯は格好の遊び場でした。
そして,その北東側の崖が(でんでんむしさんの写真では緑の木々で覆われていますが)幅25メートル,高さ30メートルくらいが半楕円形に崖崩れが進んで,垂直に切り立ったように山肌がむき出しになっていました。
火山でかくれんぼをして遊んでいた時,私は見つからないようにと考えて,崖方向に後ろも見ないまま後ずさりに下がっていきました。
「ほどよい位置まで下がったかな」と思って振り向いたら,前から後ろの方に続いているはずの木々やシダが途切れていました。
「アレーッ?」と思いつつ覗き込んだら,はるか下に崖崩れの切り立った斜面が続いていました。
つまり,崖崩れしている縁まで下がってきており,後ろを見ないままもう1メートルか1秒でも下がっていたら,崖崩れしている上縁から30メートル下に落ちて即死していたと思います。
神様が「下がるのをやめなさい」とささやいてくれたのでしょうか。
そのおかげで私は現在まだ生きています。私にとっては不思議というより奇跡でした。
ウーン,まだまだ書きたいことはありますが今回はこの辺で・・・

by 阿賀もの (2011-06-15 01:12) 

dendenmushi

@また、いらっしゃいませ。でんでんむしの岬めぐりブログは、So-net会員よりも阿賀ものさんのように検索できてくださる方が圧倒的に多いようです。

 しかし、そういう方はたいてい先を急いでおられるようで、ちょっと立ち止まってコメントなどしてやろうという人は少ないですね。(自分もだいたいいつも急いでいるほうだから…)

 だから、たまにこういうのをいただくと、とてもうれしい気がします。ありがとうございます。

 こどもの頃に、九死に一生をえたということは、昔はけっこうだれでも経験がある人が多かったのでしょうね。
 でんでんむしも、瀬戸の海で、二度ほど、あぶないところで助かった、という経験をもっています。

 火の山は、ちょうどかっこうの遊び場だったのですね。
 呉の広や阿賀は、でんでんむしの先祖にまつわる土地であるだけに、数ある岬で、ここにだけこんなに昔語りを寄せてくださる方があることが、不思議に思えてなりません。

 どこかでは、この付近は、でんでんむしにとってのパワースポットだったのではないか…と書いていましたが、そんな気がします。
 
by dendenmushi (2011-06-16 06:43) 

阿賀もの

阿賀ものです。
でんでんむしさん,ありがとうございました。
とにかくお礼申し上げます。
といいますのは,子供の頃引っ越しで別れていた友人を捜すてだても分からないまま何十年も過ぎて去っていましたが,でんでんむしさんのお陰で連絡がとれました。
なにせ関東の方に引っ越すと聞いていただけで,子供時分の私には引っ越し先の住所を聞く知恵もなく,私の家が大入に引っ越して程なくの時,1回訪ねてくれて嬉しかったのに住所を聞くこともなくそのままになってしまっていました。
時折,「彼はどうしているかなぁー」と思い出しては子供の時の情景に思いを巡らせていました。
我ながら,「おっちょこちょい」だけでなく「鈍」でした。
でんでんむしさんのページを見てカキコしながら,今頃になって気づくなんて・・・
とにかく,ありがとうございました。


by 阿賀もの (2011-08-09 09:43) 

dendenmushi

@阿賀ものさん、引っ越していったこども時代お友だちと、連絡が取れたとのこと、まずはよかったですね。

 実は、前にも書きましたが、この項では「昔の話」さん、「Husigidou」さん、そして「阿賀もの」さんと、ふしぎな縁を感じています。

 そこで質問ですが、「子供の頃引っ越しで別れていた友人を捜すてだても分からないまま何十年も過ぎて去っていましたが,でんでんむしさんのお陰で連絡がとれました。」というのは、どういう経緯があったのでしょう。

 でんでんむしの「岬めぐり」が、とりもつ縁というか、そんなできごとがなにかあったのでしょうか。

 差し支えない範囲でかまいませんので、ぜひお教えいただきたいと思います。「今頃になって気づくなんて・・・」というのも、どういうことがあったのか気になります。
 よろしくお願いいたします。
by dendenmushi (2011-08-11 06:36) 

阿賀もの

阿賀ものです。
端折った書き方とプライバシーに関わることを回避しようとしたため,分かりにくい文章になって申し訳ありませんでした。
Husigidouさんのことなのですが,少しラフに書かせていただきます。
私は,(2011-06-14 00:46),(2011-06-15 01:12) にカキコさせていただきましたが,その後何回となくこのページを読み返して(読み流して)いました。
そして何回目かに,dendenmushiさんの「八木アンテナ」に目が止まり,別の知人を連想していました。
そして,「@名倉不思議堂のページ」に行ってみたら,なんと,名倉さんが小学校6年の途中まで冠崎に住んでいた,と書かれていました。
私が大入に引っ越したのが先だったのかどうか記憶定かではありませんが,大入の家を訪ねてきてくれて嬉しかったことをはっきり覚えています。
その時は「川崎に引っ越す」と聞きましたが,住所や連絡先を聞くことまで知恵が回っていませんでした。
その後,名倉さんのことを時折思い出しては「どうしているのかな」と思いつつ子供時代を回想しつつ45年くらいになると思います。
それにしても,「八木アンテナ」に目が止まっても「名倉」に目が止まらなかったドジな自分に胸をかきむしりたい気分です。
「@名倉不思議堂のページ」でメールアドレスを知り,「町田です」と書いたら「ご無沙汰しています。おどろきました。」と返信があり,私の弟のことも覚えていてくれました。
いやー,なんというご縁なんでしょうか。砂漠の中で星の砂を見つけ出したようだと思います。
でんでんむしさんが岬めぐりをしておられなかったら,このようにUPしておられなかったら,冠崎の「観音崎」のことをUPされなかったら,Husigidouさんがここにカキコされなかったら,私がここに来ることがなかったら・・・
どれひとつ欠けても星の砂に再会できなかったでしょう。
ということで,でんでんむしさんが岬めぐりをして,冠崎の「観音崎」のことをUPされたことが最重要ファクターになります。
(2011-06-14 00:46),(2011-06-15 01:12) にカキコしたにもかかわらず,「「八木アンテナ」に目が止まり・・・」は8月8日夜のことです。これもドジで「鈍」な話だと思います。まぁ,「結果よければすべてよし」ではあります。
でんでんむしさん,本当にありがとうございました。

by 阿賀もの (2011-08-11 17:22) 

dendenmushi

@いやーぁ! ふしぎですねえ。Husigidouさんが、阿賀ものさんのお友だちだったわけですか…!
 おもしろいですねぇ。

 「岬めぐり」が、そんなところでお役に立とうとは、思わなかった…わけじゃなくて、実はそういうこともあろうかと、秘かに期待し狙っていたんですよ。ほんとに。
 
 それと、当ブログへの呉高専からのアクセスが、多いのですが、それもこの辺りの情報と関連がありそうです。
by dendenmushi (2011-08-12 06:50) 

阿賀もの

実は,私,呉高専勤務です。
昼休みや勤務時間終了後に仕事PCでここを覗いたことが複数回ありますが,好ましいことではないので控えるようにしましょう。
呉高専の他の教職員または学生が来ているかもしれませんが・・・
私を好ましく思わない者には好材料となるでしょう。

by 阿賀もの (2011-08-12 12:20) 

dendenmushi

@呉高専も阿賀で、黒瀬川のそばにあるんですね。地元の情報には、どんなものがあるかと、検索してみる人が多いんでしょうね。
 それは必要なことだし、お勉強にもなりますから、ぜひほかの項目もどんどん見にきてほしいと思います。
 このあたり、まだ島が残っているんです。
 高専の生徒さんたちで、岬の写真や情報を投稿していただけると、いいんですが…。
by dendenmushi (2011-08-15 06:03) 

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