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294 札ガ鼻=広島市南区宇品町金輪島(広島県)金輪島の南端の岬を望む昔の海は遠く… [岬めぐり]

 金輪島は広島市で、ここは宇品町に属する。島には一度も行ったことはないが、いつも目の前に見ていて、その名にもなじみ深いものがある。
 今は姿を消しているようだが、かつて広島市街を流れる川には“かき船”が浮かんでいて、そのなかには「金輪島のかき」と名乗っていたのもあったから、広島湾のかき養殖の基地でもあったのだろう。
 今では、広島のかき養殖は、どちらかというと西の宮島周辺のほうが盛んなようだ。
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 金輪島には造船所もあって、これは今も健在のようで、遠目にもクレーンが立っているのが見えるが、この島の南端、写真でいうと左の端が札ガ鼻である。ここには、道もなく、岸は岩の崖で、船でもチャーターしないとそばには行けない。金輪島は、島の南半分はほとんど人が入らないところのようだ。
 したがって、写真は坂の人工砂浜の海水浴場や呉線の電車から撮ったものだけ。むりやりにもこの岬をカウントするのも、初めて泳いだ海を記録しておきたいからである。
 これらの写真で札ガ鼻の左に遠く見えるのは向宇品(この呼び名もなくなったのか。地図では「元宇品」となっている)と全日空ホテルである。この西海岸も海水浴場があったが、ホテルは東海岸にあり、ここには一度泊まったことがある。fudagahana02.gif
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 この砂浜からの写真は、293に入れていたものだが、こっちのほうがいいようなので、移し替えた。
 この人工砂浜というやつは、どうも好かん。こんなうそっぽいものもないような気がしてならぬ。まして、昔からあった、水のきれいな水尻の海岸をこんなにしてしまうなんて…。…というのは、年寄りの愚痴に過ぎない。
  砂浜から正面に見えるのが、峠島と似島。これはどちらも広島市に属する。似島の右手の盛り上がったところが、広島市街地から見ると富士山のように見えるというので、通称“安芸の小富士”と呼ばれる280メートルほどの山であるが、ここも頂上まで登ったことがあった。峠島のほうは、南のゾウガメの首の付け根辺りにほんのわずかな平地があり、船着き場のようなものも地図には描かれているが、人が住んでいるかどうかは知らない。おそらくここでは水がないので、無人島だろう。瀬戸内海には、こういう島がたくさんある。都市の近くにも関わらず、人が滅多に近づけない場所が、あちこちにたくさんあるということなのだ。
 金輪島の右手は坂の森山で、その向うにポコンと跳び出しているのは、黄金山という。これもまた広島のランドマークとなる山である。
 63年前、ここからは大きなキノコの形をした雲が、盛り上がるのが見えたことだろう。このあたりからだともう白い雲にしか見えなかっただろうが、そのときでんでんむしは的場川の上流にいて、首が痛くなるほど見あげるそれは極彩色のうごめきのたうちつつ天に伸びる柱だった。
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 この金輪島と坂の森山の北東の奥が、292の冒頭で書いた、でんでんむしのこどもの頃の夏の遊び場であり、初めて泳ぎを覚えた海である。そこは、広島湾の北東最深部である。
 的場川のほうは泥だったが、海田川はきれいなまさつち(花崗岩の砂)をたくさん運んでくるので、ここは砂地もきれいだった。干満の差が大きいので、干潮時は遠く金輪島まで続いているのではないかというような、かきひび(養殖のかきをぶらさげる竹で組んだ柵)が並んでいるのが姿を現わし、海はかなたへ消えてしまう。
 ところが数時間もして満潮になると、河口の土手から飛び込んでも、背丈の何倍もある深い海になる。こういうときは、金輪島が手の届きそうなところにみえるのであった。
 これが、すごい変わりようだ。
 これには、ちょっと驚き、ちょっと寂しい。
 もはや国道2号線も、昔のように山陽本線と並んで走ってはいない。
 海田川の河口付近には卸売市場ができて長く埋め立てられ、広島市側からも坂町側からも埋め立てが進んで、新しい地面と町と工場が、海をほとんど埋め尽くしている。でんでんむしが通った青崎小学校も、はるかに海からは隔てられ、青崎中学校にいたってはとうの昔になくなってしまった。向洋と丹那の南には大きなマツダの工場が並んでおり、それらを結んで海田大橋や広島大橋という高くて大きな橋が、海の名残りでしかない水面を越えてゆく。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度19分52.17秒 132度28分51.98秒
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dendenmushi.gif中国地方(2008/07/15 再訪)

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タグ:広島県
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コメント 2

knaito57

先日「失われた広島の街の復元計画」といふ記事を読んで、思ひました。
──蓄積した資料と最新技術を駆使すれば、63年昔の市街を再現することも可能かしれない。多分そのために必要な情報の大半は、人々の“記憶”にたよることになるだろう。この作業は、人々の想い出の中にしか残っていない情景、その人しか知らない光景を集積することによって初めて可能になるはず。ひとり一人の脳に刻み込まれたデータ、網膜の隅に残っている画像。それはいわば、ヒトのHDのいちばん深いディレクトリに収まっているデータなのだから。  
年長者はただそれだけの理由でも尊重されるべきであり、『個人史』の価値もそこにある──と拙者は思ふのです。 
今回の地図はなかなか詳細で、文章と照合しながら興味深く拝見しました。
by knaito57 (2008-08-08 07:31) 

dendenmushi

@毎年そういう記事がさも目新しいことのように載るのですが、でんでんむしはもうそれを一元化して、集中してやらなければならないのだ、と思います。
 こうしている、この瞬間にも、記憶は消えてしまって永遠に戻らないわけですから。
 地図は、例外的に広範囲を示す必要があるときは右下の縮尺が500担っていますが、通常はこれが250です。
by dendenmushi (2008-08-11 07:23) 

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