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291 角田岬=新潟市西蒲区角田浜(新潟県)稀には他国の人越後に雪中するも文雅なきは筆にのこす事なし [岬めぐり]

 角田岬へ行くには、新潟駅から越後線に乗って、巻という駅まで行き、そこからバスで角田山の裾を巻くようにして海に向かう。広い砂浜の向こうに岬と白い灯台があるさまは、これぞまさしく“絵に描いた”ようではないか。
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 ちょうど今頃は、角田浜は海水浴で大いに賑わっているだろうが、訪問した6月はシーズン前で、海の家はまだ閉めたままだった。
 十数年前、何度目かの新潟で、越後の豪農・伊藤家を見学したときに、そこの売店で見つけて買ってきた地元の版元が出した『北越雪譜』という本がある。魚沼には記念館までできている鈴木牧之(1770〜1842)という人が、この本を残すに至る意図も興味深く、また山東京伝などがからんでの経緯がまた波乱万丈でおもしろいのだが、このさいそれは省略して…。
 その中にこういう一節がある。
 「蒲原郡の伊弥彦山伊弥彦社を当国第一の古跡とす。(中略)此山さのみ高山にもあらざれども越後の海浜八十里の中ほどに独立して山脈いづれの山へもつゞかず。右に国上山、左に角田山を提携して一国の諸山是に対して拱揖するが如く、いづれの山よりも見えて、実に越後の鎮ともなるべき山は是よりほかにはあらじとおもはる。」
 越後のほかの山までもがへりくだっているが如くだというのは、いささか持ち上げ過ぎのような気もするが、大勢が敬意を持ってちょっと遠巻きにして海辺に旅立つ家族を見送っている、という感じと言われれば、なるほどと思う。辺りの地形はまさにこの通りで、この山塊だけが日本海と越後平野を隔てる衝立のように南北に延びている。いちばん高い弥彦山でも634メートル、500メートルに満たない北の角田山から、日本海に向けて尾根が降り下り、その先端に角田岬があるのだ。
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 角田岬の特徴は、ギザギザの岩だろう。溶岩性の岩なのか、黒く見えるのはポッカリと開いた穴なのだ。これが、大きい。
 ここで釣りをしている人は、天地の境に吾一人という心境だろうか。
 急な階段を手摺に頼りながら登ると、灯台に至る。そこから南側を見ると、越後七浦という岩場が続いていく。灯台と同じ高さに道路があって、角田山の登山道が延びていく。さっきから二組の登山者が、ここを登って行った。ほぼ独立峰で海の眺めもいい尾根道なので、軽いトレーニングに最適なのだろう。
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 もちろん、目の前の海には、遠く佐渡島が見えるはずなのだが、これがまた雲の下で、なかなか容易には姿を現わさない。
 巻からのバスは、海水浴シーズンでなかったので、角田浜のさらに先の妙光寺という集落が終点となる。それが字名だとしてもそういう名前ならそういうお寺があるのだろうと、周辺を探して歩いて見たが、標識もないしお寺らしいものは見つからない。Mapionでは卍マークがあるが、国土地理院の地図ではお寺マークはない。謎である。
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 反対側の海のほうに行くと、大きな堤防のような丘を越えて砂浜に至る。事実、これが防風の役割をしているようで、集落を守っているが、ここの浜にはごみが散乱している。よく朝鮮半島や大陸からの漂流ごみが言われる。ハングルのプラ容器もあるが、やはりここでは圧倒的に国産ごみが多い。佐渡の島影がどうにか薄く確認できる。
 名がその態を表わすならば、「新潟」とはよくぞ言いける。阿賀野川と信濃川と、二本の大河と何本もの支流に運ばれてきた土砂が、今では広い田園地帯を生み出しているが、複雑に入りくんだ入江や、砂洲や沼地、葦原や湖沼などがどこまでも続く潟だった時代のほうが、ずっと長かったはずであろう。
 弥彦の南、寺泊に船をつけた義経は言うに及ばず、芭蕉の時代でもまだ陸地はしっかりと固まっていなかったのかも知れぬ。細道の旅でも「鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。」とまことにそっけないのは、「暑湿の労」にわずらわされて体調がよくなかったからだろう。
 おまけに、新潟ではロクな宿に泊まれなかった。弥彦神社にはちゃんと参詣しているのだが、雨の柏崎では庄屋に宿を頼むもいやいやという様子だったのがアタマにキて飛び出し、慌てて追ってきた使いを振りきって米山(110 聖ヶ鼻 参照)まで行ったりしている。この後、直江津でも似たような目に会っているので、案外それが越後について本文の記述が少ないほんとうの理由かも知れない。こういうところ、“俳聖”といえどもいかにもフツーの人間らしくておもしろいが、まあ、あの天の川の句があるからいいやね。
 新潟の鉄道線路が、いささか妙で、一見不自然にみえるへんてこな形に敷かれているのも、この新しい潟とその間をぬって流れる幾筋もの川のためなのだろうと思われる。
 ちょっと高いところを走っている越後線から遠く越後平野を見渡し、角田山裾のバスで田圃の中を走りながら、そんなことをあれこれ考えている。相変わらずだが、乗客は少なくて、ほとんどは貸切り状態だ。kakutamisaki14.gif
 この日が土曜日で、間瀬へ行くバスは土曜ダイヤで、少ない本数が更に間引かれていた。結局、こ岩室温泉を通って立石までは行ったものの、弥彦の獅子ヶ鼻まで歩いていくことができなかった。柏崎の笠島にも、取り残してきた岬があるので、今回で新潟完全制覇とはいかなかったが、まあ、それもよい。
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 それにしても、こちらは季節のいいときを選んで、ちょこっとやってくるだけだが、角田岬も山よりは雪は少ないと聞くが冬はどんなだろうと、ふと思う。
 そういえば、鈴木牧之は、そのことを『北越雪譜』のなかで再三にわたって述べ、豪雪地帯の苦労を愚痴に聞こえるほど書いている。
 たとえば、政宗の歌に触れ芭蕉の句を引用した後で、彼はシニカルにこう続けるのである。
 「これ夏秋の遊杖にて越後の雪を見ざる事必せり。されば近年も越地に遊ぶ文人墨客あまたあれど、秋のすゑにいたれば雪をおそれて故郷へ逃帰るゆゑ、越雪の詩歌もなく紀行もなし。稀には他国の人越後に雪中するも文雅なきは筆にのこす事なし。」

▼国土地理院 「地理院地図」
37度47分38.28秒 138度49分13.24秒
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dendenmushi.gif北越地方(2008/06/21 訪問)

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タグ:新潟県 灯台
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古井戸

はじめまして。
休山 呉 灰が峰、で検索してたどり着きました。
60年代後半、呉(阿賀)に下宿して、学生生活を送りました。
阿賀から、休山を一周して、呉市街を経て、再び阿賀に帰るというジョギングをやったことがあります(休山を一周)。途中疲れたら海で泳いでまた走り出す。阿賀からは、晴れた日、松山が見えます。いま、写真を拝見し、海が鏡のように静かなことに驚きます。仁方の沖にある無人島で夏、泊まり込んで臨海学校をやったことなど、懐かしく思い出します。
by 古井戸 (2009-04-17 16:21) 

dendenmushi

@古井戸さん、そうするとでんでんむしが広島を出たのと入れ違いくらいですね。(“古井戸”といえば…♪大学ノートの裏表紙に…。逗子の図書館ホールにきたとき、行きましたよ。)
 292〜304あたりは、広島シリーズでした。写真としてはあまりろくなものはないのですが、見ていただいてありがとうございます。瀬戸内海は、ほんとうに穏やかですよね。離れて余計にそう思うのかも知れません。
 「休山 呉 灰が峰、で検索」したのに、こんな中身ですみません。山のことは書いていない…。
 倉橋島の項とここでも書いていますが、この呉の広という場所が、でんでんむしの父祖の地だったので、特別な場所です。
 古井戸さんは、そこに学生時代を過ごされたわけですね。
by dendenmushi (2009-04-18 06:59) 

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