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番外:鼠ヶ関=鶴岡市鼠ケ関(山形県・新潟県)山形と新潟の境では残念ながら岬がないので… [番外]

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 この姿だけを見れば、いかにも「鼠ヶ崎」という立派な岬のように思えるが、残念ながらそういうわけにもいかない。そこで、ここは「番外:鼠ヶ関」である。
 ここは弁天島といい、港口に点在し、防波堤でつながれている小島のひとつである。島とはいいながらすっかり陸続きになってしまっているが、元をただせばれっきとした島だったわけで、岬の名で呼ばれることがなかったのも、そのためであろう。
 昔の地形を想像してみると、現在の鼠ヶ関駅周辺の高地のほか、市街地のほとんどは、鼠ヶ関川の河口が深く山間に入り込んだ入江に呑まれていたはずで、それを挟んで北と南に山がせりだしていた。…まさに関所を置くにはぴったりの条件を備えた場所だったはずである。
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 港の北側には「念珠関所跡」という表記が地図にもあり、標識などもあるが、実は「関」という字までもつここは、江戸時代からの比較的新しい関所のあったところで、それより古い時代の関所は、反対の南側の端にあった。
 関所の名が地名に残るくらいだから、当然ここは重要な関だった。
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 弁天社の前には、地元漁師の屋台が店を並べ、干物やイカ焼などを販売している。こういう風景も、岬めぐりでは随所でお目にかかる。日本中漁港だらけなのだ。ここのところ燃料が高くなって、一斉休漁というのがあったが、この港でもそのときは船は出なかったのだろうか。政府も、燃料代の補填を打ち出したが、シロウト考えでは、それはごく場当たり的な対策に過ぎない。もっともこの場合は、問題が燃料代だからそれでもいいようなものだが…。たとえば、冷凍冷蔵技術や設備が進んでからの海産物の流通の複雑さなどまで踏み込んで、日本の近海漁業の行く末を描かなければならない時期でもあろう。
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 弁天社の境内の隅に大きな石碑が立っていて、そこには“温海町”が立てた“源義経碑”が、簡単に義経の逃避行と当地との関わりを述べている。村上元三原作の大河ドラマに便乗した碑だと、自ら告白している。その原作は読んでいないし、昭和41年というドラマの方も、当然忘れているので、それとの関わりは不明だが、ここでは「弁慶の機智により通ることができ更に、関守の世話で当地に宿泊、疲れをいやした」とある。ここからそう離れていないマリーナには“義経上陸の地”という記念碑があったり、土地の言い伝えでは関所の役人が一行を丁寧にもてなして、義経がその返礼にくれた矢立が残っているとか、そういう話が伝わっている。はてさて。
 “…右靭(みぎうつほ)、せんが桟(かけはし)などと言ふ名所名所を通り給ひて、念珠の関守厳しくて通るべき様も無ければ、「如何せん」と仰せられければ、武蔵坊申しけるは、「多くの難所をのがれて、是まで御座しましたれば、今は何事か候ふべき。さりながら用心はせめ」”という『義経記』の記述とは大いに異なる。
 だが、『義経記』そのものからして、後世に書かれたもので、史実の記録とは言い難い。しょせん、伝説の域を出ず、証拠もなくさまざまな説が咲き乱れることになる。とくに若狭から庄内に達するまでは、諸説入り乱れて行程自体が定かとは言い難い。
 でんでんむしも、一度小松空港からのバスの車窓から、安宅の関の碑と像があるのを、通りすがりに見たことがあるが、かねてから安宅の関の跡というのが砂浜が続く海岸にあって、山の中の関所というイメージとは、まったく違うことに違和感をもっていた。(NHKがやっている黒沢映画の旧作放映で観た『虎の尾を踏む男たち』でも、安宅の関は山の中として描かれていた。)そこで、勝手に、「もし、“勧進帳”のようなことがあるとしたら、それは安宅よりも、山の中ではないけれどここ鼠ヶ関のほうが、地形的に見る限り厳しい関としてはふさわしいのではないか、とは思っていた。
 もちろん、そうなると地元の言い伝えとは矛盾するが、あの肝心の“勧進帳”にしてからが、今で言えば後世の映画化やドラマがヒットしてその話だけがあたかも史実の如く有名になったようなものだから、かなり怪しい。第一“安宅の関”からして、『義経記』には“安宅の渡し”としてあり、関などでてこない。西行や義仲のみならず、義経にも肩入れする芭蕉でさえ、そこを通ったはずなのにそれについてはスルーしている。“弁慶の機知”のような話はいくつかあるし、それらが“勧進帳”のような話を生んだのだろう。行程も、どこからどこまで船で、どこからどこまで陸路を行ったのか、それすらも極めて怪しくなってくるのだが、その先、三瀬に船で着いて数日休養し、それから最上川を遡るというのはあまり異説はないようだ。
 町の南端は伊呉野(いぐれの)という。だが、そこはもう山形県ではない。盲腸のように飛び出したここだけが、山形県に食い込むようにして新潟県なのである。
 ほかにもいくつかあるが、県境が川とか尾根とかでなく、町の中を通っているめずらしい例である。
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 「わが町・こんな町」というのがなんともおかしいが、ということは、この文字は新潟県の仕業か? もっと昔の古い関所は、このあたりにあった。
 そうそう、せっかくあつみ交通のバスの運転手さんが教えてくれたのだから、“念珠の松”も、ちゃんと入れておかなければ…。nezu10.gif
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 この松は、もともと村上屋という旅館の庭にあったものだという。なるほど、裏口から出てみるとその道筋には数件の旅館が看板を上げている。村上屋だけがなくなって、松だけがこうして残った。
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 越後寒川まで行くつもりで鼠ヶ関の駅に戻って、次の電車を待っている。駅のホームから山のほうを見ると、かなり川沿いに山が奥へと引っ込んでいる。昔の旅人は、この広くなった河口を迂回しながら渡ったのだろうか。それとも、渡しのようなものがここにもあったのだろうか。
 念珠の松のところにいたおじさんがやってきた。この人も一人旅らしいが、どういう旅なのだろうか。
 とにかく、これからの旅はさまざまな形で変わっていくはずである。それに気づいたか、新潮社が新しくシリーズで出した、電車路線情報も重視したという日本地図帳が売れている。でんでんむしも、地図マニアのはしくれとして、買おうと思ったのだが、見ると別に編集や情報にさほどの魅力もないので、結局買わないでいる。だが、地図を見ながら日本をあちこちめぐるというスタイルは、徐々に一般化している、といってよい。それも、一人か二人が、それぞれに化石燃料を燃やしながら走り回るというのではなくて…。

▼国土地理院 「地理院地図」
38度33分31.15秒 139度32分25.52秒
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dendenmushi.gif東北地方(2008/06/20 訪問)

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コメント 4

knaito57

うん、これはいかにも岬らしい。絵に描いたやうだ──と思ったら、島なんですか。浜辺に密生している白い小花は何でせうか。たしかにこういう県境はめずらしい。それだけ古い道路なんでしょうね。
藤沢周平文庫にびっくり、思わず手をのばしたとふのはわかりますなあ。拙者も好きですが、昔の貸本屋時代を思い出す村上元三や山手樹一郎なんかも楽しめますぜ。
by knaito57 (2008-07-28 12:08) 

dendenmushi

@これはシロツメクサです。な〜んだ、とおしゃることでしょうが…。実はそうなんです。
 ね、思わず手を出してしまいますよね。うまいこと、考えたもんだ。
by dendenmushi (2008-07-30 07:18) 

yamagatn

おはようございます!
山形県民の私にとって、こうやって山形の良いところを
紹介していただけるのがとっても嬉しく思います^^
by yamagatn (2008-07-31 07:24) 

dendenmushi

@あ、やっぱり山形県民なんだ。山形はね、けっこうでんでんむしには思い入れがある土地でして、寒河江とか大江町とか、慈恩寺とか、何度か行ったことがあるんですよ。
 慈恩寺など、今では観光バスが行くみたいですねえ。ツアーのコースに入っていて…。
by dendenmushi (2008-07-31 08:02) 

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