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284 三崎=飽海郡遊佐町吹浦(山形県)秋田県との県境にあるウヤムヤの岬なれど… [岬めぐり]

 でんでんむしの岬めぐりの対象は、いちおう地図に「岬・崎・鼻」といった名前が記してあることを条件としている。その原則を厳密にあてはめて言うならば、ここにはわざわざやってこなくてもよかった。去年、秋田県は男鹿半島の岬めぐりの帰りに、ここを通ったのだが、そのときはちょうど台風にあたって、庄内などの岬へ行けず、帰途に計画していた山形新幹線も不通になるということがあった。
 今回は、そのフォローも兼ねてだが、新庄から最上川に沿って酒田へ下り、そこから芭蕉の足跡を辿るという、だいそれた企みもないまま、来てしまった。それも、Mapionでは、秋田と山形の県境に、はっきりと「三崎」と表示してあるからだったが、肝心の国土地理院の2万5000分の1では、「三崎公園」や「有耶無耶の関址」とは書いていても、岬としての表示はなにもない。
 だが、日本海側の東北・北越エリアでは、海岸線も単調で、ほとんど目立つ岬がないので、鳥海山の麓で県境であれば、むりやりでも入れておくほうがよかろう。
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 『奥の細道』の行程をなぞって歩いたり、写真や紀行を残したりするのも大流行りだ。その気はないのだが岬めぐりでもたまにこっち方面を歩けば、芭蕉にあたる。だいたいが、あの『奥の細道』というのは、謎である。事実を記した紀行文などでは決してないし、さりとて文学作品としてのフィクションとして納得するにはなにか違う。
 芭蕉の行程では最北にあたる象潟まで行くのに、酒田からこの道を往復しているわけだが、曽良の日記によると、往路は天候に恵まれず、雨の中を難渋したらしい。
 芭蕉が『酒田の湊より東北の方、山を越え、磯を傅ひいさごをふみて、其の際十里…』とごく簡単に書いているこの道中も、曽良によると『十六日吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降出ル。女鹿。是ヨリ難所、馬足不通。大師崎共、三崎共云。一里半有。小砂川、御領也。新庄預カリ番所也。入ニハ不入形。塩越迄三リ。半途ニ関ト云村有。ウヤムヤノ関成ト云。此間、雨強ク甚濡。』となる。
 彼らがそうして歩いたであろう道を、でんでんむしものろのろと往く。
 酒田で電車を待って乗換え、降りたのは岬にいちばん近い女鹿(めが)という無人駅である。無人駅でもここはただの無人駅ではない。上りが朝2本、下りが午後3本停まるだけの駅で、ほとんどの電車は通過する。しかも、谷の中のようなところにあって、女鹿の集落からは1キロ弱離れている。
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 ちょうど、芭蕉と曽良が象潟を目指して歩いたときと同じように、雨が降りはじめたので、ポンチョをかぶって歩く。
 三崎公園というのは、秋田県と山形県にまたがる広い地域で、地図などでは緑に塗ったりしているのでよくある芝生の公園などを想像してしまうが、それでは難所でもなんでもない。もちろん自動車で7号線を走れば、あっという間に過ぎてしまうが、山また山の急峻な旧道も残されている。
 地元の遊佐(ゆざ)町の解説によると、ここには南から不動、大師、観音の三つの岬があることから三崎の名がついたという説明がある。なるほど、それで三崎か。一応納得するが、ただ、これは地名というか場所を示す名ではないようだ。岩場が連続するところの目立つ岩にそうした名をあたえたのだろう。だから地図には載っていないのだ。
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 かろうじてその姿が見える鳥海山は、過去に何度も爆発している火山である。その裾が長く日本海に延びて落ち込む先端に、この三崎がある。記録にあるのでも平安時代に大爆発があって、溶岩が流れ出して海に注ぐさまを描いているらしいから、この難所は、そうしてできたものであろう。
 地図の秋田・山形の境を分ける県境が、日本ではめずらしくほぼ直線のラインとなっているのも、溶岩流でできた尾根にはわずらわしい地権関係もなく、えいやっとばかりに真っすぐな国境が引けたものだろう。
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 雨はひどくなるなか、どこが有耶無耶の関址なのだろうとみたが、どこにもそれらしきものは確認できす、結局これも有耶無耶のままである。まあ、それらしくていい。
 そもそも、この同じ名前の関がもうひとつ山形県には別にあること、芭蕉の時代からもう既に伝説の関となっていたことなどから、いわゆる関所の跡とはちょっと異なるようだ。実際の関所は女鹿にあったと、曽良の記述からも想像できる。
 雨の中を三崎から吹浦まで歩く。北へ小砂川へ向かったほうが歩く距離は短くてすんだのだが、吹浦のほうが電車の便がいいかと思った。だが、それも結果的には同じことだった。
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  あつみ山や 吹浦かけて 夕すゞみ
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 駅に着いたときには、5分前に電車は出た後だった。 峠越えの道が見つけられず、十六羅漢を回ることになって時間を食ってしまったのだ。しかたがないので、ここから酒田まではバスを待って移動することにした。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度7分5.73秒 139度52分14.51秒
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dendenmushi.gif東北地方(2008/06/19 訪問)

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コメント 2

knaito57

ときに『奥の細道』と重なったとしても──特殊任務(?)を秘め、弟子を従え、スポンサーにお愛想しつつ街道行脚をした芭蕉とはすべてが違いますよ、でんでんむしさん。
やはり地図と地名がたよりの岬めぐりなんですね。ときどき「データベース」を見直していますが「鼻は九州、中国、四国に多い」という分析(?)は鋭い。鼻というのは、江戸もんの拙者にはほとんどなじみがなかったス。
“三崎”が旅のヒントになった経緯はわかりますなあ。またこの場合は岩につけられた名前からという観察に説得力がある。ブルーマウンテンに“スリーシスターズ”の伝説を秘めた岩がありますが、ヒトといふのは大きな石を見ると名前をつけたがるもんですよ。
ついでながら、前回番外編にある「大江13」の数字は? これを含んで正規の町名なんですか。それとも……。
by knaito57 (2008-07-11 09:36) 

dendenmushi

@地図と地名がたよりです。それでないと、日本中に単なる出っ張りは、無慮数千数万とあるでしょう。名前がないと、呼びようも書きようもありませんしね。つまり、そのものを特定する名前というのは、実は大変なものなのですね。
 熊本市の「大江13」というのは、それ自体が地名ではなく、大江という名前がついた地名が細かく見れば13あるので、それらをまとめて総称したエリアの名として、便宜的に称したものだと思われます。
 一週間のごぶさたでした。広島へ行っておりまして、また瀬戸内海の鼻もいくつかめぐってきましたよ。
by dendenmushi (2008-07-18 09:12) 

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