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280 御番所の鼻=葦北郡芦北町大字計石(熊本県)野坂の浦で長田王万葉の歌にしのぶは… [岬めぐり]

 御番所の鼻は、野坂の浦の北を区切る岬で、葦北郡芦北町の計石と鶴木山の字境でもある。岬の先端には石の祠が外海を向いて立っており、小島が3つほど浮かんでいる。左が木島、右が竹島。木に竹を継いで並んでいるが、その間に白い灯台を載せているのはさらに遠く離れた沖の島で、そこは津奈木町になる。ここまで歩いてきたところは芦北町の計石で、先端の岩は鶴木山となって、字が変わる。
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 そのもっと陸よりにある白い岩島は、岬とセットになった唐船岩という名がついている。遠くには天草の島々も見え、頼山陽をして“芸洲に似たり”と言わしめた景色が広々と展開する。大阪生まれだが、父親が広島藩に招かれたため、多感な時期を広島で過ごした頼山陽が、この景色を瀬戸の海に重ねて漢詩に詠んだというのも、うなずける。
 だが、頼山陽がなぜこんなところに来たのだろう。いや、“こんなところ”ではなくて、九州旅行に一念発起してやってきて、日田の広瀬淡窓らとの交流をしていた彼が、ここに足を延ばす理由があるほど、当時をふくめた長い間いろいろな意味でこの地方のキーステーションであったということなのだろう。
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 こうしてみると、いかにも景勝にもすぐれたちゃんとした岬のようにみえるが、実はこんな感じで、まったくたいしたことはなく、要するに道がカーブしているところに岩があって、柵やら立札やらがあるだけで、木の一本も生える余地すらない。
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 茶色の立派な立札は、熊本県が立てたもので、読んでみると「野坂の浦」の説明で、万葉集にある長田王の歌というのが紹介されている。
 長田王が向かった水島とは、どこにある島なのだろう。長田王はなんでこんなところまでやってきたのだろう。その疑問には、この看板はなにも答えてくれない。それも、こういった看板にありがちなことだ。
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 長田王(おさだのおおきみ=天平9(737)年没)は、長皇子(ながのみこ)の子で、天武天皇と大江皇女の孫にあたる。その歌は万葉集には6首もあり、そのひとつがこの歌碑にある「芦北の野坂の浦ゆ船出して水島へ行かむ波立つなゆめ」であるという。この歌は、これから野坂の浦を発って水島に行きたいので波よ荒れないでおくれ、みたいなことで、問題はやはり水島はどこで、なんのためにそんなところへ行くのかということである。
 どうも気になるので、帰ってきてから調べてみたら、どうやら持統天皇あたりに命じられてか大宰府までやってきた長田王は、『日本書紀』の景行天皇の熊襲征伐の故事にならい、その足跡を辿ってきたものらしい。水島というのは、岬のない現在の八代市の水島町で、島は干拓地の端にわずかにその跡をとどめている様子は、地図で確認できた。
 八代へ行くのにわざわざ遠回りになる芦北から北上するのか、という疑問も、八代の海岸が当時は潟が続く浜で、開けていなかったと考えれば、これでいちおう解決するような気もする。
 その歌を刻んだ歌碑も立っていて、ここ野坂の浦が奈良時代からの港であったことを、誇らしげに主張しているようだ。歌碑の彼方に見える岬は、鶴木山の麓に連なる岬である。
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  計石の辺りは、家並みも昔からの古い港の立地をそのまま残しているような地形が、はっきりと地図にも刻まれている。御難所の鼻という岬の名は、当然ながらそこに船番所が置かれていたからだろう。佐敷には、水俣と並んで延喜式に記録が残る古い町だったのだが、当時の集落はもっと山あいに隠れるようにしてあったに違いない。入江の先端にあった船番所は、いわば海の関所でもあった。
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 佐敷の駅からまた、1時間に1本のおれんじ鉄道を待って、海浦を過ぎ、田浦に向かう。

▼国土地理院 「地理院地図」
32度18分8.59秒 130度28分18.51秒
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dendenmushi.gif九州地方(2008/04/19 訪問)

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タグ:熊本県
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きた!みた!印 6

コメント 2

knaito57

岬に立って思うのは何か。景色の美しさ、当面の懸案、将来の問題、海の彼方、追憶……いろいろでしょうが、拙者の場合、現在や未来よりも“過去”が多くなりそうです。とかく目の前の光景よりも背後にある歴史のほうに意識が向かうのは、やはりトシのせいですかなあ。
とはいうものの、隠岐ノ島に7000軒も家があり、12000台ものクルマがあるという事実にびっくり。おのれの無知とイメージとのギャップに歴史が吹っ飛んだやう。
by knaito57 (2008-06-30 08:37) 

dendenmushi

@あ〜なたの過去などし〜り〜たくなーいの…という歌の文句がありましたね。過ぎた過去のことなど、ドーデモいいという人が、多いのには驚きます。
 トシのせいでばかりでなく、でんでんむし的には、どんな過去にせよ、それこそが背負っていかななければならない(でんでんむしが自ら家を背負っているように)、逃れがたいものなのに、と思いますけどね。
by dendenmushi (2008-07-02 08:12) 

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