279 唐船鼻=葦北郡芦北町大字女島(熊本県)佐敷から西へうたせ船のマストの向こうに [岬めぐり]
九州新幹線が、鹿児島中央から新八代間で開通したと聞いたとき、なんでそんなハンパなことをするんだろうと、疑問に思ったものだが、ここへ来てみてその訳がわかった。八代=川内間を肥薩おれんじ鉄道として民営分割化したため、JR鹿児島本線は八代=川内間がぷっつりと断線することになってしまった。JRとしては、とりあえず新幹線の一部開業を急ぎ、鹿児島本線をつなぎとめておく必要があったのだろう。
その肥薩おれんじ鉄道が走る八代海沿いは、大小の岬と入江が降りなす凸凹の海岸線が続くのだが、そのなかでも水俣・津奈木・佐敷・田浦という少しばかり大きな湾があり、そこには山の間に開けた古い町並みが残っている。
地形としては、幾重にも重なり合う山が海に迫り、平地は少ないので、おれんじ鉄道も一部は海岸を離れて山寄りをトンネルなどで走り抜けることになる。車窓に、ずっと海が見えているわけでもない。
水俣から乗った電車を、次に降りたのは佐敷である。津奈木を飛ばすことになるが、そこは海岸沿いの道には電車もバスも自転車もないので、歩き通すしかない。同様の事情で、芦北の鶴木山の下とあわせてまた、出直すしかあるまい。
佐敷の西に広がるのは、野坂の浦という名のついた入江である。その南の入口を受け持っているのが唐船鼻で、佐敷港に停泊している船の帆柱が立ち並ぶその向こうに、見えてきた。
この船は3本マストで、先端のほうが開き気味に立っているのが特徴的だが、これがうたせ船なのである。いわゆる底引き網漁をする帆船で、実際に現在でもその漁が行なわれているが、地元では観光うたせ船にも力を入れその保存条例までつくっているらしい。たくさんの船が係留してあり、帆を張ったところはみることができなかったが、写真でみると、和船の帆とは違う洋式帆船の帆に近い。ということは、大昔からあるというわけではない。明治期になって導入されたこのトロール漁法と船は、「芸州流し」と呼ばれたと、駅の案内には書いてあった。「芸州」とは広島のことである。
ええーっ? 広島ではそんなん聞いたこともみたこともない。それもそのはずで、どうやら、この地にやってきた瀬戸内の漁民が開発したというのでその名が残ったらしい。今では各地で看板を見かける「広島風お好み焼」とは、ちょっと事情が異なる。
唐船鼻という名もおもしろい名であるが、なんとなく想像もつけやすい名ではある。町のホームページによると、慶長年間には南蛮船が寄港した記録も残るというから、港としての歴史は野坂の浦という古風な名があるように、かなり古くからあるようだ。唐船鼻の名は、そうした外国船の入港の記憶を示すものだろう。「唐船=中国船」というわけでは必ずしもなく、南蛮船と同義であったとみるべきだろう。
岬の先端には、白い大きな岩島があり、入江の入口には、長い堤防が入口を守っていた。
唐船鼻の向こうに遠く見えるのは津奈木の帆柱崎である。これも、うたせ船と関係があるのだろうか。でも、船のほうは明治からだから関係ないか…。
野坂の浦には、佐敷川と湯浦川という2本の川が流れてきており、古い町の中心は佐敷の駅から佐敷川を少し遡ったところにあるらしいが、そこまでは行けなかった。二つの大きな橋が架かっており、たまにしか車も通らない芦北大橋のほうはまだ比較的新しいようだ。
そうそう、また例によってZENRINの地図では、国土地理院にさからって、唐船鼻という名は表記せず、「京の崎」という表記をして独自路線を突っ走っている。そういう名も地元ではあるのだろうか、京泊という集落も岬の手前にあるのでまんざらでたらめでもないらしいし、ちょっと気になる。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度17分44.07秒 130度27分56.30秒
九州地方(2008/04/20 訪問)
その肥薩おれんじ鉄道が走る八代海沿いは、大小の岬と入江が降りなす凸凹の海岸線が続くのだが、そのなかでも水俣・津奈木・佐敷・田浦という少しばかり大きな湾があり、そこには山の間に開けた古い町並みが残っている。
地形としては、幾重にも重なり合う山が海に迫り、平地は少ないので、おれんじ鉄道も一部は海岸を離れて山寄りをトンネルなどで走り抜けることになる。車窓に、ずっと海が見えているわけでもない。
水俣から乗った電車を、次に降りたのは佐敷である。津奈木を飛ばすことになるが、そこは海岸沿いの道には電車もバスも自転車もないので、歩き通すしかない。同様の事情で、芦北の鶴木山の下とあわせてまた、出直すしかあるまい。
佐敷の西に広がるのは、野坂の浦という名のついた入江である。その南の入口を受け持っているのが唐船鼻で、佐敷港に停泊している船の帆柱が立ち並ぶその向こうに、見えてきた。
この船は3本マストで、先端のほうが開き気味に立っているのが特徴的だが、これがうたせ船なのである。いわゆる底引き網漁をする帆船で、実際に現在でもその漁が行なわれているが、地元では観光うたせ船にも力を入れその保存条例までつくっているらしい。たくさんの船が係留してあり、帆を張ったところはみることができなかったが、写真でみると、和船の帆とは違う洋式帆船の帆に近い。ということは、大昔からあるというわけではない。明治期になって導入されたこのトロール漁法と船は、「芸州流し」と呼ばれたと、駅の案内には書いてあった。「芸州」とは広島のことである。
ええーっ? 広島ではそんなん聞いたこともみたこともない。それもそのはずで、どうやら、この地にやってきた瀬戸内の漁民が開発したというのでその名が残ったらしい。今では各地で看板を見かける「広島風お好み焼」とは、ちょっと事情が異なる。
唐船鼻という名もおもしろい名であるが、なんとなく想像もつけやすい名ではある。町のホームページによると、慶長年間には南蛮船が寄港した記録も残るというから、港としての歴史は野坂の浦という古風な名があるように、かなり古くからあるようだ。唐船鼻の名は、そうした外国船の入港の記憶を示すものだろう。「唐船=中国船」というわけでは必ずしもなく、南蛮船と同義であったとみるべきだろう。
岬の先端には、白い大きな岩島があり、入江の入口には、長い堤防が入口を守っていた。
唐船鼻の向こうに遠く見えるのは津奈木の帆柱崎である。これも、うたせ船と関係があるのだろうか。でも、船のほうは明治からだから関係ないか…。
野坂の浦には、佐敷川と湯浦川という2本の川が流れてきており、古い町の中心は佐敷の駅から佐敷川を少し遡ったところにあるらしいが、そこまでは行けなかった。二つの大きな橋が架かっており、たまにしか車も通らない芦北大橋のほうはまだ比較的新しいようだ。
そうそう、また例によってZENRINの地図では、国土地理院にさからって、唐船鼻という名は表記せず、「京の崎」という表記をして独自路線を突っ走っている。そういう名も地元ではあるのだろうか、京泊という集落も岬の手前にあるのでまんざらでたらめでもないらしいし、ちょっと気になる。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度17分44.07秒 130度27分56.30秒
九州地方(2008/04/20 訪問)
タグ:熊本県
この帆掛け船って、霞ヶ浦で見られた懐かしのあのホタテ貝のような帆を展開するのでしょうね。あれって網を引っ張る時だけに使うんですよね。そうじゃないとひっくり返っちゃうはずですから。一度観てみたいものです。
by 右左あんつぁん (2008-06-29 19:48)
@右左あんつぁんさん、おひさしぶりです。さすがヨットマン。船に反応してきましたね。
霞ヶ浦のも帆引きですから、基本的には似ていますが、帆は霞ヶ浦のほうがあくまで和船なのに対して、こちらのは洋式帆船ですね。むしろカティーサーク(あんなに帆は多くないが)ですよ。
「レディース号」というきれいな洗面所完備という船まであったりして観光船に力をいれているようですから、ぜひ一度どうぞ…。
by dendenmushi (2008-06-30 08:13)