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276 大崎=水俣市浜(熊本県)こいのぼりの泳ぐ水俣川の河口右岸に桜の岬 [岬めぐり]

 水俣川の川岸には、市役所もあり、市立総合体育館があり、市文化会館があり、徳富蘇峰が校歌を書いた水俣市立第一小学校がある。
 川に架かるいちばん南の端の橋が水俣大橋で、この先から幅が急に広くなって八代海に注ぐ河口の右岸先端に大崎がある。
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 左岸はやはり埋立地らしく、工場や終末処理場などがあるが、工場排水が問題になったとき、会社は排水を百間川から水俣湾へではなく、一時期この水俣川のほうに流し変えたことがある。またもとに戻して排水を流し続けるのだが、そのために水俣病患者は、ここから北の津名木から葦北へかけて広がった。この病気の発生箇所は、南は出水まで広がるが、原則としてその9割が水俣湾周辺に限られていたのである。
  小学校の対岸には、たくさんのこいのぼりが並んで、風に泳いでいた。蘇峰のいう矢筈の山とは、この後ろの山なのだろうか。
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 水俣大橋のひとつ上流の幸橋の袂に喫茶店があったので、そこに入って一休み。上品な年配のご婦人がひとりでやっているらしい。喫茶店の白い窓の向こうに文化会館が見える。その前にあった石の亀の像について聞くと、なんでも白い亀がここで見つかって縁起がいいというので都に献上したという。その人も、詳しくは知らなかったらしいが、それだけ聞けば想像はつく。「白亀」という年号も、700年頃にはあったはずだ。ただし、それは「私年号」というやつで、年表には出ていない。当時は、そういうのが亀以外にもあちこちいっぱいあって、しょっちゅう年号を変えていた。
 でも、ということは、このあたりの歴史はそうとう古いのだ。旧石器から古墳時代の遺跡もあるし『延喜式』には佐敷、水俣に駅がおかれたと記されている。蘇峰の校歌は人の道の後にこう続く。「延喜の御代に世に知られ 昭和の御代に名に高き…」
 市役所と第一小学校の近くの水俣橋の袂には、古い大きな石碑があった。
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 自転車で走っていると、中学生が「こんにちわ」と挨拶をしてくれるので、こちらもあわてて挨拶を返す。地方へ行くと、こういうことはよくある。
  大崎へ行く途中に、こんなものがあった。遠目にもそこだけ色も景色も違っていたので、なんだろうと思っていたのだが、なんとそれは汚泥の山だった。
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 大崎は、その名のとおりに大きな岬で、道路はかなり海から高いところを、大きく回っている。一帯が公園になっているが、大きな木々が生い茂り、まだ散り残るサクラもうっそうとしている。岬の先端や渚までは、のぞき見ることはできなかったが、瀬があるらしく白い波がたっていた。

▼国土地理院 「地理院地図」
32度13分36.86秒 130度23分39.80秒
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dendenmushi.gif九州地方(2008/04/19 訪問)

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タグ:熊本県
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きた!みた!印 6

コメント 2

knaito57

歴史を誇る土地に、昭和の御代になって不幸な歴史が書き加えられたわけですね。徳富兄弟の出身地とは知りませんでした。
こういう挨拶に慌てるのは「シャイな都会人」だからですよ。拙者も昨夏、杖突街道で経験しましたが、すばらしい生活習慣ですね。
鯉のぼりの群舞(泳)も近年よく見かけます。広い場所に合同で飾るのは壮観で、個人の庭にはためくのよりも気分がいいです。(カープも頑張って!)
by knaito57 (2008-06-18 10:42) 

dendenmushi

@そこまでは蘇峰といえども読めませんが、昭和の御代にほんとうに名を残してしまいましたよね。
 こどもがあいさつをしてくれるのはいいが、決してこちらから先に声をかけることはできない。それは禁物ですよ。
 こいのぼり、多いです、あちこちでやっています。ここのは川に渡す形式ではなかったけど、風がよく吹いていて…。
 カープも、いまいちですなあ、あいかわらずですが…。
 明日から、日本海側へでかけますので、今週いっぱい、書き込みはお休みです。雨の中を歩くのもまたいいもので。
by dendenmushi (2008-06-18 15:36) 

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