274 笠瀬崎・針の目崎・塔の崎=水俣市明神町(熊本県)苦海浄土の海を囲んで恋路島 [岬めぐり]
八代海は、北は宇土半島、南は薩摩の長島や獅子島、西は天草の島々によって、ちょうど囲い込まれたようになって、長く伸びている。その沿岸の南の端近くに、いくつもの凸凹に囲まれた水俣の海がある。地図にはその表示はないが地元の呼び名で“坊主ガ半島”というらしい、ツツワ崎や柳崎のあるでんでんむしの触覚のような出っ張りから、恋路島という島が北側にフタをするように覆いかぶさり、明神崎までが、美しい海を囲っていたはずである。
なぜか現在の地図では湾といわず、水俣港とだけ表示してあるこの内海は、今ではその港側の三分の一近くが埋立てられているが、かつてはそれは明神崎の細長く続く岬の海岸線で仕切られていて、駅にもほど近い百間町の辺りまで、深く入り込んだ湾になっていた。その港の付近には、百間川という水路が流れ込んでいた。
どうやら、“こき島”と呼ぶらしいこの恋路島には、東の端に灯台のある笠瀬崎、南の出っ張りが針の目崎、そして明神崎と向かい合う西の端が塔の崎と、三つの岬がある。
今は、広く埋立てられた土地が、「水俣広域公園」として東西1.5キロに渡って展開している。
かつて、明神や月浦や湯堂や茂道といった海岸の漁村のそこここで、猫が次々と狂い死んでいなくなり鼠が増えたという時期があった、という。
国道三号線は熱いほこりをしずめて海岸線にのび、月の浦も茂道も湯堂も、部落の夏はひっそりしていた。 子どもたちは、手応えのない魚獲りに飽きると渚を走り出す。岩蔭や海ぞいにつづく湧き水のほとりで、小魚をとって食う水鳥たちが、口ばしを水に漬けたまま、ふく、ふく、と息をしていて、飛び立つことができないでいた。子どもたちが拾いあげると、だらりとやわらかい首をたれ、せつなげに目をあけたまま死んだ。鹿児島県出水郡米ノ津前田あたりから水俣湾の渚は、茂道、湯堂、月の浦、百間、明神、梅戸、丸島、大廻り、水俣川川口の八幡船津、日当、大崎ガ鼻、湯の児の海岸へと、そんな鳥たちの死骸がおちており、砂の中の貝たちは日に日に口をあけて、日が照ると渚はそれらの腐臭が一面に漂うのである。
海は網を入れればねっとりと絡みついて重く、それは魚群を入れた重さではなかった。工場の排水口を中心に、沖の恋路島から袋湾、茂道湾、それから反対側の明神ガ崎にかけて、漁場の底には網を絡める厚い糊状の沈殿物があった。重い網をたぐれば、その沈殿物は海を濁して漂いあがり、いやな臭いを立てた。漁民たちはその臭いから追われるように魚の気の少ない網をふり濯いで帰ってくる。高台から見る海はよどみ、べっとりとした暗緑色だった。見てみろ、海が海の色しとらんぞ、部落の者は寄り寄りそういって坂道に佇んだ。若者たちは眼を光らせて舟を乗り回し、ドベ臭くなった海の臭を嗅いできて、あそこも臭かった、そこも臭うなっとるぞといいあった。
(石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』「もう一ぺん人間に」より 講談社 昭和44年)
埋立て地の端には、お地蔵さんのような石像が何体も海を向いて立っている。
そこはデッキのようになっていて、向こうから黒いウエットスーツに潜水器具を背負った人が、雫を垂らしながらやってきた。挨拶代わりに潜ってきたのですかと声をかけると、「ええ。もうきれいですよ。きれいな海です」と言う。なんとなく、それ以上、潜水の目的や、どういう立場と役目の人なのか、詮索して尋ねるのがためらわれ、その人と別れた。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度11分47.65秒 130度21分39.22秒 32度11分39.94秒 130度21分48.80秒 32度11分59.68秒 130度22分11.51秒
九州地方(2008/04/19 訪問)
なぜか現在の地図では湾といわず、水俣港とだけ表示してあるこの内海は、今ではその港側の三分の一近くが埋立てられているが、かつてはそれは明神崎の細長く続く岬の海岸線で仕切られていて、駅にもほど近い百間町の辺りまで、深く入り込んだ湾になっていた。その港の付近には、百間川という水路が流れ込んでいた。
どうやら、“こき島”と呼ぶらしいこの恋路島には、東の端に灯台のある笠瀬崎、南の出っ張りが針の目崎、そして明神崎と向かい合う西の端が塔の崎と、三つの岬がある。
今は、広く埋立てられた土地が、「水俣広域公園」として東西1.5キロに渡って展開している。
かつて、明神や月浦や湯堂や茂道といった海岸の漁村のそこここで、猫が次々と狂い死んでいなくなり鼠が増えたという時期があった、という。
国道三号線は熱いほこりをしずめて海岸線にのび、月の浦も茂道も湯堂も、部落の夏はひっそりしていた。 子どもたちは、手応えのない魚獲りに飽きると渚を走り出す。岩蔭や海ぞいにつづく湧き水のほとりで、小魚をとって食う水鳥たちが、口ばしを水に漬けたまま、ふく、ふく、と息をしていて、飛び立つことができないでいた。子どもたちが拾いあげると、だらりとやわらかい首をたれ、せつなげに目をあけたまま死んだ。鹿児島県出水郡米ノ津前田あたりから水俣湾の渚は、茂道、湯堂、月の浦、百間、明神、梅戸、丸島、大廻り、水俣川川口の八幡船津、日当、大崎ガ鼻、湯の児の海岸へと、そんな鳥たちの死骸がおちており、砂の中の貝たちは日に日に口をあけて、日が照ると渚はそれらの腐臭が一面に漂うのである。
海は網を入れればねっとりと絡みついて重く、それは魚群を入れた重さではなかった。工場の排水口を中心に、沖の恋路島から袋湾、茂道湾、それから反対側の明神ガ崎にかけて、漁場の底には網を絡める厚い糊状の沈殿物があった。重い網をたぐれば、その沈殿物は海を濁して漂いあがり、いやな臭いを立てた。漁民たちはその臭いから追われるように魚の気の少ない網をふり濯いで帰ってくる。高台から見る海はよどみ、べっとりとした暗緑色だった。見てみろ、海が海の色しとらんぞ、部落の者は寄り寄りそういって坂道に佇んだ。若者たちは眼を光らせて舟を乗り回し、ドベ臭くなった海の臭を嗅いできて、あそこも臭かった、そこも臭うなっとるぞといいあった。
(石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』「もう一ぺん人間に」より 講談社 昭和44年)
埋立て地の端には、お地蔵さんのような石像が何体も海を向いて立っている。
そこはデッキのようになっていて、向こうから黒いウエットスーツに潜水器具を背負った人が、雫を垂らしながらやってきた。挨拶代わりに潜ってきたのですかと声をかけると、「ええ。もうきれいですよ。きれいな海です」と言う。なんとなく、それ以上、潜水の目的や、どういう立場と役目の人なのか、詮索して尋ねるのがためらわれ、その人と別れた。
▼国土地理院 「地理院地図」
32度11分47.65秒 130度21分39.22秒 32度11分39.94秒 130度21分48.80秒 32度11分59.68秒 130度22分11.51秒
九州地方(2008/04/19 訪問)
タグ:熊本県
う〜ん。『苦海浄土』の筆者は状況だけでなく、仔細な地理観察をしているんですね。すさまじい描写と「もう、きれいな海」という画像を比べると考えてしまいます。
恋路島で伊良子岬の恋路浜を、百間川では岡山(内田百間)の百間川、また藤沢周平の小説に出てくる六間川を思い出しました。地名の発想というのは共通性がありますね。
by knaito57 (2008-06-12 07:36)
@きれいな海に美しい岬…。そこがまさに水俣病の多発地帯だったのです。なんとも、やりきれないような思いがしました。
by dendenmushi (2008-06-13 08:10)