240 江井崎=淡路市江井(兵庫県)菜の花の沖は積み残し [岬めぐり]
淡路市江井にある江井崎は、島の西海岸でいちばん北に位置する出っ張りである。ここより北側には、いくつか港や海べりの集落はあるが、名のつく岬はない。この江井崎の南側の明神崎、五斗崎、仏崎、雁子岬が残ってしまったが、今回の淡路島岬めぐりは、これでいったん終わりである。
結局、“菜の花の沖”は見ることができなかったが、それはまたの機会に。
島を縦貫している自動車道は、山を避けたり、町にすり寄ったりして、蛇行しており、その途中にいくつかのICがあり、高速バスは停留所に停まっては乗客を拾いながら進んでいる。
津名一宮ICを過ぎると、まもなく海が見えてきて、江井崎が徐々にその姿を少しだけ変えつつ、大きくなり、やがてまた小さくなっていく。江井のあたりはちょうど平地が海に向かって開けており、比較的大きな町があり、港があり、畑が展開する高いところを走る自動車道からの眺めが、最もよいところでもある。
南淡路ICで手持ちぶさたで予定を早め、ひとつ前のこの高速バスに乗ったときには、でんでんむしがただ一人の乗客だったが、福良で数人、西淡三原で数人、洲本で数人と、少しずつ客が増えてきた。
そして、ついに室津、北淡あたりに来たところで、補助席もいっぱいになり、それでもバス停には乗れない客が溜まっていた。この日はちょうど連休の日曜日。朝の南淡路ではまだ雲っていた空模様も、北へ進むにしたがって、前日までの雨と雪が、ウソのように晴れ渡ってきた。神戸や大阪まで買い物などに出かける人が多いのだろう。同じ高速バスでも、この便はどうやら生活路線として使われているようだ。
乗り切れない客をどうするのかと思えば、運転手が降りてなにやら後ろに走っている。定かにはわからないが、どうやら後続の徳島からの便を停めて、そっちに振り分けているような様子だった。
淡路島も北の淡路市は、橋ができたおかげで、完全に神戸の経済圏・生活圏に組み込まれているらしい。道路ができたからそうなったのか、道路がニーズにこたえたのか、それはわからない。“必要な道路”の定義は、なかなか微妙である。
北淡といえば、以前ここにある震災記念公園にある野島断層保存館を見たときには驚いた。あの大震災の当初、一般にメディアも“阪神大震災”と呼び習わしていたが、すぐに“阪神淡路大震災”と改めた。神戸ほどの人口密集地でなかったのが幸いして、人的な被害は少なかったので、さほど情報が流れなかったようだが、この北淡での地震の凄さをはっきりととどめていたのが、あの断層だった。
その写真も、既に 025 鵜崎 の項で載せているが、ここでも改めて再録しておきたい。
再び、鵜崎の上を通り抜け、明石海峡を橋で渡って、垂水に至る。
今でこそ、こうして日本中の岬をめぐってふらふらとしているが、でんでんむしのこどもの頃といえば、汽車に乗ってどこか遠くへ行くということが、則ちめったにない重大事であった。淡路島を初めて眺めたのが、中学の修学旅行できたときだったことは前に書いた。その名前だけは知っていた島影が、汽車の窓から大きく黒々と迫っていて、印象深いものがあった。
そのとき、こども心に漠然と“いつか大人になって、この島に渡ることがあるのだろうか”という想いが広がっていったことを、はっきりと覚えている。だが、結果として、それはなかなか実現しなかったことになる。最初に訪れた島の印象は、遠くかなたに薄れていることが改めて確認されたので、淡路島の体験はここ十年くらいの間にやってきたのがすべてである。
結果的に、ひとつ前のバスに乗ったことが幸いして、神戸空港からの帰りの飛行機に乗り遅れずに済んだ。これが、当初の予定通りのバスで来ていたら、完全に間に合わなかった。垂水からも大渋滞が続いて、バスは大幅に遅れていたからである。
しかし、空港に着くには早過ぎて、そこではゆっくりのんびりとできた。けれども、そのひとつ後のバスでも20分の余裕はあったはずなのに、こんなに遅れては飛行機には間に合わなかった。それが、ぐうぜんの成り行きで余裕で飛行機には乗れた。とかく人の世とはそうしたものである。
空港の待合室に人が増えてくると、どこからともなく現われた数人の男とお巡りさんが一人。目立たないようにししているその男たちが目立つのは、みんなイヤホンとマイクのセットを身に付けているからである。どこの誰だかは知らないが、いわゆるVIPがこの飛行機に乗るらしく、その警備にあたっているのであろう。いったい誰に対してこんなところでこんな大げさな警備が必要なのかどうか、それはわからない。政府与党は足りない足りないと言って増税をほのめかし続けてしきりに地ならしをしているが、税金がムダに使われていることは明らかであるにもかかわらず、ついぞそれに真剣にとりくんだことがない。政治とは、そうしたものであろうか。
伊勢、三河湾、御前崎、伊豆七島、房総の上を飛んで、飛行機が羽田に着いたが、ANAの到着はまた駐機場からバスである。第二ターミナルができても、ローカル便はやはりスポットに停める余裕はないのだろう。席が後ろのほうだったので、ゆっくりと降りたが、バスは一向に動き出さない。立ったまま待つこと数分。どういう事情があったのかわからないが、ずいぶんとみんなを待たせた最後の乗客は無言で乗ってきた。人間は、しょせんそうしたものなのだとは思いたくはないであろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分6.90秒 134度49分10.12秒
近畿地方(2008/02/10 訪問)
結局、“菜の花の沖”は見ることができなかったが、それはまたの機会に。
島を縦貫している自動車道は、山を避けたり、町にすり寄ったりして、蛇行しており、その途中にいくつかのICがあり、高速バスは停留所に停まっては乗客を拾いながら進んでいる。
津名一宮ICを過ぎると、まもなく海が見えてきて、江井崎が徐々にその姿を少しだけ変えつつ、大きくなり、やがてまた小さくなっていく。江井のあたりはちょうど平地が海に向かって開けており、比較的大きな町があり、港があり、畑が展開する高いところを走る自動車道からの眺めが、最もよいところでもある。
南淡路ICで手持ちぶさたで予定を早め、ひとつ前のこの高速バスに乗ったときには、でんでんむしがただ一人の乗客だったが、福良で数人、西淡三原で数人、洲本で数人と、少しずつ客が増えてきた。
そして、ついに室津、北淡あたりに来たところで、補助席もいっぱいになり、それでもバス停には乗れない客が溜まっていた。この日はちょうど連休の日曜日。朝の南淡路ではまだ雲っていた空模様も、北へ進むにしたがって、前日までの雨と雪が、ウソのように晴れ渡ってきた。神戸や大阪まで買い物などに出かける人が多いのだろう。同じ高速バスでも、この便はどうやら生活路線として使われているようだ。
乗り切れない客をどうするのかと思えば、運転手が降りてなにやら後ろに走っている。定かにはわからないが、どうやら後続の徳島からの便を停めて、そっちに振り分けているような様子だった。
淡路島も北の淡路市は、橋ができたおかげで、完全に神戸の経済圏・生活圏に組み込まれているらしい。道路ができたからそうなったのか、道路がニーズにこたえたのか、それはわからない。“必要な道路”の定義は、なかなか微妙である。
北淡といえば、以前ここにある震災記念公園にある野島断層保存館を見たときには驚いた。あの大震災の当初、一般にメディアも“阪神大震災”と呼び習わしていたが、すぐに“阪神淡路大震災”と改めた。神戸ほどの人口密集地でなかったのが幸いして、人的な被害は少なかったので、さほど情報が流れなかったようだが、この北淡での地震の凄さをはっきりととどめていたのが、あの断層だった。
その写真も、既に 025 鵜崎 の項で載せているが、ここでも改めて再録しておきたい。
再び、鵜崎の上を通り抜け、明石海峡を橋で渡って、垂水に至る。
今でこそ、こうして日本中の岬をめぐってふらふらとしているが、でんでんむしのこどもの頃といえば、汽車に乗ってどこか遠くへ行くということが、則ちめったにない重大事であった。淡路島を初めて眺めたのが、中学の修学旅行できたときだったことは前に書いた。その名前だけは知っていた島影が、汽車の窓から大きく黒々と迫っていて、印象深いものがあった。
そのとき、こども心に漠然と“いつか大人になって、この島に渡ることがあるのだろうか”という想いが広がっていったことを、はっきりと覚えている。だが、結果として、それはなかなか実現しなかったことになる。最初に訪れた島の印象は、遠くかなたに薄れていることが改めて確認されたので、淡路島の体験はここ十年くらいの間にやってきたのがすべてである。
結果的に、ひとつ前のバスに乗ったことが幸いして、神戸空港からの帰りの飛行機に乗り遅れずに済んだ。これが、当初の予定通りのバスで来ていたら、完全に間に合わなかった。垂水からも大渋滞が続いて、バスは大幅に遅れていたからである。
しかし、空港に着くには早過ぎて、そこではゆっくりのんびりとできた。けれども、そのひとつ後のバスでも20分の余裕はあったはずなのに、こんなに遅れては飛行機には間に合わなかった。それが、ぐうぜんの成り行きで余裕で飛行機には乗れた。とかく人の世とはそうしたものである。
空港の待合室に人が増えてくると、どこからともなく現われた数人の男とお巡りさんが一人。目立たないようにししているその男たちが目立つのは、みんなイヤホンとマイクのセットを身に付けているからである。どこの誰だかは知らないが、いわゆるVIPがこの飛行機に乗るらしく、その警備にあたっているのであろう。いったい誰に対してこんなところでこんな大げさな警備が必要なのかどうか、それはわからない。政府与党は足りない足りないと言って増税をほのめかし続けてしきりに地ならしをしているが、税金がムダに使われていることは明らかであるにもかかわらず、ついぞそれに真剣にとりくんだことがない。政治とは、そうしたものであろうか。
伊勢、三河湾、御前崎、伊豆七島、房総の上を飛んで、飛行機が羽田に着いたが、ANAの到着はまた駐機場からバスである。第二ターミナルができても、ローカル便はやはりスポットに停める余裕はないのだろう。席が後ろのほうだったので、ゆっくりと降りたが、バスは一向に動き出さない。立ったまま待つこと数分。どういう事情があったのかわからないが、ずいぶんとみんなを待たせた最後の乗客は無言で乗ってきた。人間は、しょせんそうしたものなのだとは思いたくはないであろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分6.90秒 134度49分10.12秒
近畿地方(2008/02/10 訪問)
タグ:兵庫県
路線バス利用の旅というのは相当まどろっこしいけれど、ゆとりさえあれば生活路線は人情風俗がうかがえて面白いだろうなあとも思います。
無知をさらすやうですが──私は四国とか淡路島というのは平らな島のように思っていた。それが四国遍路のビデオ(制作NHK/全4巻)を見てびっくり、けっこう山深いどころか平らなところがむしろ少ない。どうやら地図だけの知識による思い込みだったらしい。で、淡路島は何県なんですか?
それにしても淡路島は意外に大きい。歩いて廻るのはホネのやうに思いました。
by knaito57 (2008-03-31 10:13)
路線バスでの移動も風情があっていいですね。
by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-03-31 13:23)
@ほぼ影さん、knaito57さん、そうなんですよ。バスの旅はね、大変ですよ。いろいろな点でとても大変で、それは車でコロコロ回るのとは比べものにならないくらいです。
だから、「修行」にもなるのですがね(笑)。
by dendenmushi (2008-04-02 08:24)