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223 築上岬・八幡鼻・笠脱鼻=鳥羽市答志町(三重県)答志島和具“海賊”が眠る島 [岬めぐり]

 今さらながら、島の形は多くは複雑で、それは海岸線の描く形もさることながら、山々の凸凹が入り組んで、見る者の立つ位置や角度によって、刻々とその姿を変えていく。答志島に船が寄っていくと、島の東端にあたる答志の集落がだんだん大きくなってくる。

 白い建物なども見えてくるが、その多くはホテルや旅館の類いである。ここは、三重の人たちにはなじみのあるリゾートなのだ。見えている限りが、答志の集落のほぼ全部で、それは海岸のわずかな平地に固まっている。
 その真ん中辺りに出島のように見えるのが、八幡鼻。
 左に大きく、前方後円墳のような形をした岬の東の端が、築上岬。

 築上岬の横、前方後円墳を後ろに回ってみると、その向こうに八幡鼻と答志の港の一部も見える。

 そして、島の間に船が入っていくと見えてくるのが、西の端の笠脱鼻。


 笠脱鼻は、築上岬の裏側にあたるような感じで、この西の入江には、和具という集落があり、ここも港と民宿などが集まっている。ここまでくると、外海の波風も南の菅島に遮られて穏やかな内海の景色になるが、はて? 「和具」? どこかで覚えのある地名だ。
 これは、志摩半島の中央にある町の名前と同じだ。例によって勝手な推測だが、おおかた九鬼水軍の一族の名前か何かで、彼らが住み着いていたところかも知れん。
 以前、賢島から和具まで連絡船で渡り、御座岬麦崎を訪ねて、その日は大王崎に泊まった。その夜は大嵐だったが、かえって海賊の根拠地としては、そのほうが雰囲気があった。
 その大王崎もそうだったが、この答志島も同じく九鬼水軍の基地だったところで、関ヶ原では西軍に加わった九鬼嘉隆は、結局この島で自刃している。大王崎は、いかにも外海や大坂に向かっての前線基地であり、答志島は尾張周辺や水道を往来する船を扼するのに好適の地である。
 実は、このとき嘉隆は家を二つにわけて息子は東軍に参加させ、家の安全を図った、戦国の習いだったのだろうが、この手の策の効果が長続きした試しはない。
 しょせん、人間50年。信長とともに戦い、海上の覇者となり、いずれは世界の海に打って出ることまで、夢見ていたのかも知れない“海賊”が眠る島。それが答志島なのだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分11.98秒 136度54分14.18秒 34度31分45.07秒 136度54分18.82秒 34度31分7.65秒 136度53分56.72秒223はちまんかさとり-23.jpg
dendenmushi.gif東海地方(2007/12/18 訪問)

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タグ:三重県
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