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176 田楽鼻=日立市水木町一丁目(茨城県)“72年に一度”というのはすごい [岬めぐり]

 常磐線大甕駅からまっすぐ海岸へ出ると、右手の南側に日立灯台のある古房地鼻があり、左手にはそれと駅前道路を線対称の対称軸にしたような田楽鼻がある。この二つの鼻の間は、緩い湾曲の海岸線でつながってはいるが、崖が切り立ち、砂浜はやせていて、波除けのブロックが並んでいる。
 「田楽鼻」とはまた、いかにもその岬で田楽でも舞い踊ったという情景がすぐに浮かんでくる命名だが、どうなのだろう。ここは、もう大みか町ではなく水木町になる。

 古房地の新興住宅地とは対照的な住宅街の先端に、小さな祠と児童公園がある。そこが田楽鼻であった。

 公園の道路際には、長塚節の碑など古そうな石碑がいくつも並び、そのそばにはまだ新しい石造りの記念碑がある。
 どうも、こういった石碑などを立てる人は、周囲のロケーションやその背景などには、あまり注意を払わないものとみえる。象潟蚶満寺の芭蕉の句碑もそうだったが…。どう考えても、記念碑にふさわしい背景とはいえないが、それはともかくこれはいったいなんだろう。
 一人は両手に鈴を持って舞い、一人は座ってバンドネオンのような楽器を奏している田楽奏者二人の姿を表したものだが、比較的新しい。説明も何もないが、ほら貝を模したと思われる台座の石には「2003年3月大祭礼記念」と彫られている。

 これは、金砂神社の祭礼が行なわれたことの記念に建てられたものだ。ところがあたりにはいくら地図を見てもそれらしい神社は見当たらない。
 後で帰ってきて調べたところ、これが大変なものだった。
 いくら周辺の地図を探してもないわけで、金砂神社はここから久慈川に出て川を遡った30キロも先の山の中にある。しかも、この祭礼というのが、72年に一度しか行なわれない。
 平成15年に、その72年目がやってきて、大祭が行なわれたらしい。こりゃ、記念碑のひとつくらい残したくなるワナ。
 その祭りは平安時代に起源をもつというが、山の中の東西二つの本宮からこの田楽鼻の下の水木浜までの二つのルートを、7日かけて途中途中で田楽を奉納しながら練り歩くのだ。ここ水木は、その最後の田楽催場だった。
 田楽鼻とは、さように由緒深き名前であった。

 公園の隣にはゲートボール場があり、そこにはセイタカアワダチソウの黄色のむこうに、白い小さな花を満載した蔓性の植物が小山のように茂っていた。よくある花だが、こんなに見事に大きく固まっているのは、見たことがない。
 大甕駅に戻るつもりで大みか小学校前までくると、バス停があり、時刻表を見ると日立駅行きのバスがもうすぐ来ることになっている。こりゃ好都合。これで、日立まで行くことにする。

▼国土地理院 「地理院地図」
36度30分56.23秒 140度38分0.51秒
176でんがくはな-76.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2007/10/13 訪問)

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タグ:茨城県
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