SSブログ

163 館山崎=男鹿市船川港双六(秋田県)菅江真澄の歩いた道 [岬めぐり]

 椿の漁港は南側に広く拡張されていて、比較的近年に整備が進んだらしく、漁業なんとかセンターなどいくつかの建物と公園があり、長いテトラポットの防波堤が海に向かって延びている。その付け根から塔のような岩や、青い岩の岬がその南側に続くのが館山崎である。

 「菅江真澄」という人の名を、初めて知ったのは、伊良湖岬からの帰り道、船で蒲郡に渡って三河から遠州に入り、賀茂真淵記念館を訪れたときのことだった。もう今からかれこれ15年くらい前のことになる。賀茂真淵と菅江真澄は、同時代の人ではない。彼が師事した国学の先生が真淵の弟子であった。そこには、いわば“弟子の弟子”という関係で名があったに過ぎないが、ただ真澄自身も生まれは三河の国渥美でもあった。
 1754(宝暦4)年という彼が生まれた時代はといえば、安藤昌益が『自然真営道』を著し、賀茂真淵と本居宣長が松坂で会見した頃で、その20年後に杉田玄白・前野良沢らが『解体新書』を残した。宝暦・天明には、富士山が噴火した後で、相次ぐ地震や不作で飢饉がおそったり、日本列島もまだ定まっていないような印象さえある、そういう時代である。
 1783(天明3)年、30歳の時に故郷三河を出て伊那から越後へ放浪の(といっていいのだろう)旅に出る。
 その残された著作は日記、地誌、随筆、図絵集などの形式で200冊にものぼるという。柳田国男は菅江真澄を“日本民俗学の祖”と言ったが、その内容は民俗学というひとつのカテゴリに、おとなしく収まるようなものではない。歴史・紀行・地理・国学・詩歌・考古・本草・宗教など、多彩な分野におよんでいる。文章だけでなく、自筆の絵や図が添えられており、「イラスト・図解」の元祖であったといってもよい。
 アイヌ蜂起の頃には松前など蝦夷地にも滞在しており、三内丸山遺跡でも初めて「縄」に着目した記録を残しているが、“縄文”ということばができたのは近世になってからのはずである。伊能忠敬が秋田領内を測量している頃には、彼は深浦から能代を経て久保田城下に入っており、どこかですれ違っていたかも知れない。その後の後半生を、主に秋田で過ごしており、東北各地のさまざまなところを訪れて、その記録を残しているのは、藩主佐竹義和というよき理解者あってのことだろう。
 ただ、その道も決して平坦ではなかったらしいことは、忠敬の場合と苦労の度合いは異なるとはいえ、本質的に同じようなもの。オバカなクセに権威と権力をかざして、もっともらしい理屈をつけて足を引っ張るヤツが、どこにでも必ずいる。日本の社会がどうしょうもないのは、今も昔もまったく変わらないのであって、“他国の人間に領内を自由に歩かせて勝手なことを書かせるのはどうか”といった反対論も強くあり、義和の死後の苦労もあったらしい。
 だが、今の秋田県は、菅江真澄のおがげで、過ぎ去りし昔の地域の姿を克明に記録したその業績を、いろいろフルに活用できている。教育委員会が立てている白い「菅江真澄の道」の標柱は、県内におよそ450本、男鹿半島だけでも80本近くもあるという。
 ツバキ山のところにあったのに続いて、船川港双六の海岸にも、こんなのがあった。

 「文化元年(1804)8月25日 双六の渚に着き歌を詠む(男鹿の秋風)」
 今では護岸の道でつぶされているが、館山崎の西側の姿とかつて岩場の美しい海岸の景色は、歌のひとつも詠みたくなるようなビューポイントだったのだろう。
 真澄は三度も男鹿をめぐっている。象潟で大地震があったのが、ちょうどこの文化元年で、このときは寒風山に登り、門前の日積寺を訪れ、この海岸を歩いており、その記録が『男鹿の秋風』として残されている、というわけだ。
 その6年後には、男鹿でも大地震があり、このときも入道崎(もちろん当時はそういう名はなかった)から丸木舟(なんで丸木舟なのだ?)でこのあたりをめぐっていて、この地震に遭遇している。
 鵜ノ崎や金崎に関するでんでんむしの憶測には、このことも重要な状況証拠となる。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度51分33.25秒 139度46分24.58秒
163たてやまさき-63.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2007/09/05 訪問)

@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:秋田県
きた!みた!印(4)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 4

コメント 2

toshibon

下の162にコメントした者です。ついでにでんでん虫さんが歩いた館山崎について書いた別ブログのURLも張っておきます。
それにしても、すごい岬コレクションですね。男鹿半島編はとても面白く、ためになりました。
by toshibon (2007-11-17 14:43) 

dendenmushi

@toshibonさん。ヒキコモリブログのでんでんむしは、so-netのトラバも自己リンク以外には使っていないので、toshibonさんのように外部からこられた方のトラバが、どうするのか、どうなるのか、よくわからないのです。
 でも、「184」にでんでんむしのつけたコメントのように,コメント文のなかにURLを貼付けていただければ、それでボタンになりますので、もう一度試してみてくださいね。
by dendenmushi (2007-11-18 05:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

トラックバックの受付は締め切りました