136 権現鼻=杵築市大字熊野(大分県)カブトガニの日々へ… [岬めぐり]
少年時代の昔から、九州の地図を見ると、いつも人の姿を連想していた。ちょっと斜めにかしいではいるが、ゆるやかな衣をまとった人が両手両腕を上に広げて踊っているように、見えなくもない。丸い国東半島は頭部であり、そう思ってみると両子山を中心してそこから周囲に延びる山並みと谷筋は、脳のしわのようにも見えてくる。そこまでくれは、もうしめたもので、守江湾は疑いもなく開いた口であり、その奥が杵築である。
もっとも、これには見る人の思い込み次第で、臼石鼻が文字通り鼻であるとすれば、口は守江湾ではなく糸ヶ浜がおちょぼ口を突き出しているように見えたとしても、いっこうに差し支えない。だが、ここでではいちおう守江湾を口として…。
上あごに八重歯のようにちょっと目立っているのが住吉浜であり、下あごの先端にある岬が権現鼻である。鼻にあたるあたりには、空港寄りにある三方庚申鼻、先にある臼石鼻という岬については、バスの都合でパス。
権現鼻も、杵築を通り抜けるバスの車窓から眺めるのみだった。
写真は、バスの窓ガラスを通してということもあるのだろうと思われるが、嵐が迫って風雨が強いという天候のせい、日暮れ近くで光量が不足しているせいもあるのだろう。全体にどれも青っぽくなっている。
守江湾は、ちょうど干潮に当たっているらしく広く砂浜が展開している。こういう浜は貝もたくさんいそうだし、あとでホテルに着いて見たパンフレットによれば、“生きている化石”天然記念物カブトガニの生息地としても有名なのだそうだ。
こういう光景も瀬戸内海ならではで、少年時代の夏休みの毎日は、新聞を広げて一番に見るのは暦の欄で、広島湾の潮時を確認することで始まる。そうしないと、その日の予定が立てられないのだ。なにしろ干満の差が大きい内海では、干潮時に海に行っても、泳ぐことは不可能だからだ。
それでも、一か所だけ干潮時にも泳げるところがあった。戦時中には潜水艦の修理ドックだった場所で、赤錆びた大きな台車とそれを載せたレールが水の中に没している。そこだけは、さすがに深いので、干潮時にも泳げるし飛び込みもできたのだが、やはり満潮時のほうがなんとなく泳ぎやすかった。
そういえば、あの当時の広島湾にも干潮の浜には,ミズクラゲとカブトガニがごろごろしていて、長いとがった尻尾をもってひっくり返してよく遊んでいたものだが…。
太古の昔からあまり進化もせず、同じ姿で生きてきた。彼らの一族が連綿として生きてきた悠久の時の流れを思いやるようになれるのは、それからまた何年か後のこと。
車窓からは、左に住吉浜、右に権現鼻が見える。古い城下町の杵築もさることながら、実はこの権現鼻の周辺を歩いてみたかった。なぜかといえば、ここらにだいぶ前から大和ハウスがやっている定住リゾートがあるからである。それも、この台風接近ではあきらめざるを得ない。
別に今すぐどうということもない。単に情報として知っておきたいだけだが、なんとなく人間は、住むには昔の少年の頃に帰って、それに近い環境にあこがれる気持ちがあるものらしい。だが、とても田舎とは思えない価格やお金のこともさることながら、なにより同居人と意見が一致するかどうかのほうが、より大きな障害になることは間違いない。
杵築を流れる八坂川は、さしずめ食道のようでもあるが、そこを渡る錦江橋からみると、川の水は雨で濁ってはいるものの満々として流れていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度23分3.40秒 131度38分57.24秒
九州地方(2007/07/13 訪問)
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