095 浜行川岬=勝浦市浜行川(千葉県)アイランドの夢から醒めて [岬めぐり]
「行川アイランド」と聞いて、ちょっと懐かしく思うのは、少し年配の人なのだろう。行ったことはなかったが、かつて南房総の観光の目玉だった時期もある。その頃みた宣伝かなにかで、ピンクのフラミンゴが群れをなしていたのを思い出す。
浜行川岬は、ここも道がなくて東の港のほうからしか見えないが、ひょっとするとこのアイランドという山の上から見下ろせるのではないか…などと考えていた。だが、やはりそれは不可能であったので、浜行川の漁港からしか見ることができない。
ここから港越しに東を望むと、鵜原の明神岬と勝浦の八幡岬が重なっているのが見える。
行川は“なめがわ”と読む。行ったこともないのに、“ぎょうかわ”でも“なめかわ”でもないと自信を持っていえるのは、外房線に“なめがわアイランド”という駅が存在し、ちゃんと今でもその名の読みが地図に残っているからである。ここも閉鎖になったという意識がハッキリせず、“そういえば最近聞かないなあ”という程度の認識でやってきたのだ。しかし、この60年代半ばに設立されたレジャー施設は、もう6年も前に閉園になっていた。
こういう民間の施設の名前がそのまま駅名になっているのは、今でも「ハウステンボス」のようにいくつかはあるらしいが、国鉄時代の40数年前からそんなことが可能だった、というのも驚きである。それもこれも、政権を握り続けてきた保守政治家たちの利益誘導の構図が可能にしたものらしい。
これらは、乗ったバスの運転手さんが話し好きで、問わず語りに教えてくれたものだが、この辺りを地盤とする森某という政治家が、当時の東京ガスの会長などとつるんで、あちこちに政治力を働かせてこのアイランドと駅をつくったものらしい。当然、「地元の発展のために汗をかきました」というのが、政治家の常套する大義名分だったのだろう。(ついでながら、この“汗をかく”という政治家用語は、うさんくささまでプンプン臭ってくるようでいただけないが、みなさんよく使うよね)
一時期であっても、売り子や清掃・管理などの仕事ができて多少の雇用が創出されたという程度の効果はあっただろうが、果たして地元のためになったのだろうか。地元は発展したのか、どうだったのだろうか。
浜行川岬がせり出して、その陰にできた漁港の周りが浜行川の集落だが、今は無人駅となった行川アイランド駅からは、かなり離れている。もともと地元のためにではなく施設のためにつくられた駅は、わざわざのようになんにもない山の間のいちばん奥まったところにぽつんと寂しくあり、利用者はほとんどいないらしい。入り口であった大きなトンネルの左右には、放置されたままの切符売り場などが残っている。広い駐車場の跡地がコンクリートのまま広がっており、ヤシの木の下では老婆がひじきを並べて干していた。
それでも、まだ駅もあるし、名前も変わらないし、日東バスも集落までではなく「行川アイランド」行きの路線を細々と走らせている。歩いて港のそばに行くと、そこには“なんとかママ号”という生活日用品の移動販売車がきていた。
なんでも、アイランドの跡地はなかなか売れなかったらしいが、どうやらここにも最近の流行である老人向けの定住施設ができるといううわさである。が、そんなものができたとしてもひじきを干していた地元の老人とは、なんの関係もないのだろう。これも、かつての見世物施設と同じで、みんなが単なるそのときの流行りものを追いかけて、日本中を席巻する。そんなことばかりが繰り返されていくらしい。
だいたい日本人は一過性のブームに弱いというか、そもそもそれだけで政治も高度な指標を示したことがないから、結局こういうイベントやハコモノや見せ物をつくればいいのだという安易な発想しかない。それと自分を含めた一部の人間の儲け主義とを結びつけることしか、政治家もやることがない。そのいい見本が、前のオリンピックで東京をいじり回した反省も総括もなしに、東京でまたぞろオリンピックをやろうという発想であろう。
ちょうど、今日から統一地方選挙。地域のあり方と地域の発展とはいったいどういうことかを、改めて問い直す機会でもある。問われているのは、候補者ばかりではない。つぎつぎとお祭りや見せ物をやっていれば、それでごまかされてしまう有権者のものの考え方こそが問われているのだ。
安房天津から乗ったバスがトンネルに入る手前で、運転手さんが「ほら、ここが“おせんころがし”ですよ」と教えてくれる。
おせんころがしのところに、土地転がしで、そこにフラミンゴをころがして、そのあとには今度は老人の群れをころがそう、というわけなのか。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度7分5.29秒 140度14分13.13秒
関東地方(2007/03/13 訪問)
町会議員の貧困な発想と政治屋の思惑が絡んでどれだけ多くの“見せ物施設”が生まれ、その儚い歴史を終えたことか。「なんとかワールド始末記」をまとめれば、ほとんどがご指摘のようなパターンでしょう。あの大阪万博で「作り物・見せ物」の虚しさを見抜いて以来、私はテーマパークや観光化された芸能に興味を持てなくなりました。だからかつてこの地を周遊したとき、仁右衛門島まで渡ってもフラミンゴのダンスを見る気がしなかったデス
by knaito57 (2007-03-22 09:32)
@いいですね、その企画。やりましょうか。たくさんあるはずですね、探せば。そういうのの極端なのが夕張なんでしょうけれど…。破綻していないのも入れると、千葉だけでもい〜っぱいあるじゃないですか。
knaito57 にコメントを書いていただいたので、ちょっと舌足らずのような気がして、補筆しました。
でも、こういうことは、はっきりいわないでぼかしておいたほうがよかったのかもしれませんね、(笑)
by dendenmushi (2007-03-22 16:01)