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089 いるか岬=宮崎市大字内海(宮崎県)新婚旅行宮崎行ったでしょ(へそまがりは行かなかった) [岬めぐり]

 念のためにいうと、宮崎県は豊後水道ではなく太平洋に面している。東の海の先には足摺岬ではなく、黒潮の流れがある。この海に沿って走る国道220合線には、フェニックスやヤシやソテツが並ぶ“日南フェニックスロード”という名前がついている。いるか岬は、この途中、ちょうど宮崎市と日南市の境界線をつくるようにして突き出ている。大きな縮尺の地図では、その名前は出てこない。
 宮崎市からこの道を下っていくと、青島を過ぎ堀切峠を越えると、青い海が目に飛び込んでくる。人気の道の駅をさらに南下し、内海も過ぎる。
 ついでにいうと、この内海を走っているとき、道路の脇に巨木が目立っている。これがアコウという南方から流れ着いて自生した木なのである。このブログを丹念に読んでいる記憶力のいい人なら(そんな人いないだろうけど)、佐田岬の三崎のアコウを記憶されているかもしれない。アコウの実も黒潮に乗って、日向灘や豊後水道に流れ着いた。これがアコウではなくヤシだったら、もっと利用価値があったのだろうか、それともここではポピュラーすぎて利用できなかったのだろうか。
 いるか岬は、ただ国道が鋭角にカーブしているだけの岬で、ちょこっと車などを停め海を眺めて小休止、というゾーンだけはあるというようなところだ。こういう岬も、全国には無数にあるのだろう。行きも帰りもここは宮崎交通の路線バスに乗って、通過するだけ。

 今回の宮崎岬めぐりでは、この宮崎交通のバスや南国にしては地味な配色の宮交タクシーにお世話になった。大正の終わりに、この会社を興したのが岩切章太郎である。とくに戦後の“観光宮崎”を演出した功労者として名高い。宮崎にヤシなどを植えて、「南国イメージ」を定着させたのも彼だし、その去年の閉園まで営業を続けたサボテン園もそうなのだがこどものくになどさまざまな観光施設もつくった。だいたい、今に至るバスガイドのついた観光バスを生み出したのも、岩切だといわれている。
 戦後、やっと少しずつ世の中が落ち着いてきた頃、宮崎は「新婚旅行のメッカ」といわれた時期があった。日本中の新婚さんが、岩切の誘いに乗って、宮崎を訪れた。ハワイは、まだまだ遠かったのだ。
 宮崎市では、彼の功績を記念する賞を昭和63年に創設して、全国の岩切イズムを実践した観光事業を表彰してきた。しかし、今の宮崎は、自身の足下が危うくなっているのではないか。他所を表彰などしている余裕は、もうないのではないか。岩切の遺産に頼らない、新しい魅力をつくりださなければならない時期にさしかかっているのではないか。
 橘通りの延々と続くヤシの列を、宮交のバスに乗って走りながら、そう思った。

▼国土地理院 「地理院地図」
31度43分16.63秒 131度28分3.57秒
89いるかみさき-88.jpg
dendenmushi.gif九州地方(2007/02/18 訪問)

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タグ:宮崎県
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