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081 本山岬=山陽小野田市大字小野田(山口県)時代も地形も花形も移り変わる [岬めぐり]

 小野田と宇部という名前は、単にその隣県にいたというだけではない、親近感がある。それは、おそらくセメントの袋に書かれていたせいであろう。日本の復興期から高度成長期を通じて、ここら辺りで取り出されたセメントが果たした役割は大きい。そのもっと前には、石炭もあり、坑道は遠く深く周防灘の下までも延びていった。
 昔、ここのセメント会社にいた東大卒の人が話してくれたことがある。当時は、セメントは花形産業だったが、いまはどうしょうもなくくすぶっているという気持ちを抱えていたらしいことを隠さず、その人は言った。
 「就職するときはそのときにいい企業でなく、将来を考えなければなりませんね」
 半径2キロちょっとほどの狭い地域に、あやとりの箱のように山陽本線と小野田線と宇部線が、なかなか複雑な運行経路を辿って走っている。小野田線の雀田という駅からは、さらに南に延びる線路があり、そこから二つ目が終着駅の長門本山である。地図だけ見ていると(ここには来る予定だったから地図もある)、小野田から乗り換えた小野田線で、雀田で降りて乗り換えれば、そこに行けると思うのは当然だったが、実際がなかなかそうなっていないのが現実だった。
 なんと、本山へ行く電車は、朝夕の数本しかない。山口東京理科大学という大学もあるし巨大な石油製油所もあるので、決して寂れているというのではないが、この線路も廃線の危機にある。

 タクシーを呼んで竜王山という山の裾をなぞるように向かった岬は、長門本山の駅よりさらに遠く、製油所に接しながら延びている。細長い集落を抜けると緑が濃くなり、金比羅さんが奉られている周辺は水仙が咲き乱れている。その公園の先端が本山岬となる。崖の危険を知らせる看板は、“小野田市”のままで、その向こうにはわずかな砂浜を残して新たな埋立地が広がっていた。
 なるほど、ここから隣の製油所の青いタンクを見ながら、埋め立てがなかった時代を想像してみると、ここは緑の長い岬だったことが想像できる地形だ。実は、この周辺での埋め立ての歴史は、石炭の昔からでかなり古いらしい。
 小野田の有帆川と厚狭川の河口周辺や、宇部の厚東川の河口付近の東西両岸は、ほとんど埋め立てによる。この小野田と宇部の境界が、どのようにして引かれたのかわからないが、雀田までが山陽小野田市でその先は宇部市になる。そして、この付近に赤崎とか妻崎とかいう地名があるので、その線を想像して引いてみると、昔の埋め立て前の海岸線も浮かび上がってくる。

 ついでに、小野田線の妻崎という駅から辺りを歩いてみた。別に目当てがあったというわけではなく、次の電車まで相当な時間を潰さなければならないからだ。古い民家が並ぶ丘の上には大きなお寺があり、その下にはこの集落の歴史を忍ばせるような「公会堂」があり、その先の川べりには「石炭会所」の旧跡を示す標識が立っている。

 なるほど。してみると、物資の集積・積み出しで栄えたであろう、ここらまでが海だったのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度55分52.45秒 131度10分51.55秒
81もとやまみさき-81.jpg
dendenmushi.gif中国地方(2007/7/01/31 訪問)

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タグ:山口県
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