047 大王崎=志摩市大王町波切(三重県)ものすごい暴風雨のなかの岬で一夜を過ごして… [岬めぐり]
志摩半島の東南端に位置し、遠州灘というほとんど外洋に面する大王崎は、波浪も激しい岬である。ちょうどここを訪ねた日も、猛烈な風雨が海に面した古い旅館の窓を叩き続ける、そんな日になった。名物の伊勢エビをリクエストした、石段を登った先にある旅館は古いが大きくて、これでもその昔のある時期には繁盛していたことを忍ばせる。古びて頼りなげに見える窓のすき間から雨が染み出してくるが、建物自体は風雨の強いのにも慣れているらしく、外の波浪の激しさにびくともしない。
翌朝には風雨も収まったので、早朝から起き出して、灯台に昇る日の出を見に行く。展望スポットにデジカメを構えて待つが、そんな酔狂な者はほかにはいまい、と思っていたら、後から夫婦者がやってきた。やがて、朝日が東の水平線上に昇ってきて、ゆっくりと辺りを照らし始める。今日は一転しての快晴だ。
大王崎は、北に延びる岬が天然の良港を形作っていて、そのためここら一帯は、九鬼水軍の根城だった。
九鬼水軍といえば、織田信長の石山本願寺攻めに海から加わったが、同じ水軍で本願寺に食料物資などの支援をする毛利側に与力していた村上水軍に、最初のうちはやられてしまう。だが、二度目には鉄甲船をもってリベンジを果たし、大いに勇名を馳せたものの、その行く末はやはり安穏なものではなかったようだ。
今でもこの岬の一帯は神社がある港の入口側は別にして、大きな木もない岩ばかりの丘で、その上に石段と石壁とでできた迷路のような路地に人家が密集している。海側には高いコンクリートの壁ができていて、これは風雨から家を守るためのものだ。そういう佇まいが、いかにも海賊の根城だったというイメージにぴったりくる。
それとも関係があるのだろうが、ここらはまた、石組みの技術を伝える名手が多くいたところで、あちこちにそれを思わせる遺構も残っているが、比較的新しいとみられるお寺の石塀にも、それは伝わっているらしかった。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度16分42.33秒 136度54分1.74秒東海地方(2005/03/18 訪問)
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